2015年11月30日月曜日

手本を「まね」た 創価学会の創価王国

先ずは、「創」の一字は多くの漢和辞典が示すように、「きず」、「つくる」、「はじめる」、とか、「うそ」といった意味がある。例えば、「創造」とか「創業」、「創始」、「創作」、「創立」、更には、「創価」、「創生」といったものを考えてみるとよくわかる。ここでの「創」の意味は、どれが当てはまるのかと問えば、一般には、≪「つくる」、「はじめる」》の意味が匹敵すると考えられるのであって、決して、≪「きず」、「うそ」》という意味などは思いもよらないものだ。

「創」とは 刀で「切り裂き」 鋳型からコピーを取り出す意味 

だからしばしば、「創刊100号」、「創業100年」、「創立者○○先生」という時の「創」もこの≪「つくる」、とか「はじめる」》の意味なのであろう。「創価学会」という場合もこの筋なのだとして、物事の「はじめ」であり、「つくる」、創造の開始なのだと考えているのではないだろうか。
宗教や芸術や哲学や社会科学では、いつもこの問題というのは引っかかってくるわけで、つまり「創造」とか「創価」と言っても、それは「無からは有は生じないのであって」、「その初めの初めに何かが、森羅万象の初め、つまりそこに総てを生み出した根源の有があったはずだ」と考えるわけである。 キリスト教などでは それを創造神として、ここから世界創造の被造物としての世界と人間が生まれ出たと考えているのである。
この「創」という文字の原義も鋳型を組んで、鋳造した物を取り出す時に、「きず」をいれて刀で「切り裂いて」、外型の鋳形から内型を取りはずす事を指す文字なのであった。つまり、「創」というのは内型を取り出す作業の切り裂くことを意味していた。

創価の「創」は、「たこ焼き」の場合と同じ 

現代では、様々なブロンズ像の作り方があるが原理はこれと同じである。卑近な例になるが、「たこ焼き」や「たい焼き」の鋳型を熱して、そこに水で溶いた小麦粉を流し込んで焼いた物を外型の鋳形から内型の「たい焼き」を取りはずす作業を想像するとわかりやすい。この取りはずしの作業段階に於いての、成功作や失敗作もあるが、これはコピーの出来不出来の問題でしかない。問題は、いわゆる創造された内型と言ったところでそれは、沢山の「たこ焼き」・「たい焼き」的なコピーのことでしかないということである。「創価学会」の偽本尊というのはそういう事なのだ。

「創」といっても何かの鋳型を手本(モデル)として、そこからのコピー物なのだ。 これを「創価学会」と称しているのわけで、価値を新たに創造するのではなくて、何かの価値を手本(モデル)として、それを「まね」て別物を作ったということなのである。学会が何を「まね」たかは誰でも知っていることだ。

価値を新たに創造するという意味はどういうことかというと、実はこの世の世界とは別の世界の価値を作り出すという野望的な意味のことでもあるわけだ。これはこの世の世界を否定して別世界に浄土世界を実現しそこでの創始者になろうとした念仏などが立てた宗教観とも非常に似ていると言える。現実社会の人々をその新たな価値世界へといざなっていこうという目論見が「創」にはあるのである。

「創価王国」とは現実逃避の念仏思想

本当に大事なことというのは死後の世界や新しい価値世界を実現することではなくて、この現実の国土社会を慈愛して好きになりここを変革していくことなのである。戦争という別世界の価値を支持してしまった創価学会・公明党の「創」には、現実社会への何の変革も人間的な価値も期待できないというのはそのためだ。現実を逃避して西方十万億土に平和な世界を求めた念仏思想とは、「創価学会」の創価王国とも似ているのである。
創価学会が創価王国を新たに創造してそこでの創始者にはなれても、それは現実社会とは無関係な逃避した仮想世界でしかない。コピーの変革を唱えているにしか過ぎないのである。それが創価学会員には素晴らしき新世界の創価王国と映っているだけなのである。

創価の「創」が 日本を「きず」つけてしまう

創価の「創」にを原義に立ち返って考えれば、それはつくられた被造物のことなのだ。この、名前の重要なことを指して、「名は体を表す」とか、「名は体に至る功徳がある」というのである。名前というのは万物に付いていて大事なのだ。創価学会がコピー本尊を使用するようになった事は、「創価」が「創」の名を体現したということである。コピーの「まね者」を指して、これを本尊としてしまったのも創価学会ならではの道理だろうが、これは「創価学会」の誤りを示す証拠となっている。

「創」の一字は、元々は刀傷を表す。パソコンなどでも「きず」と入力すると「創」と出てくる。「満身創痍」などの意味です。中国語では、「創」には日本語での創造などの意味は無いようで、①外傷や②痛手のことなのです。例として「創口」(きずぐち)が上がっている。また中国語の辞典には「瘡」と同じだとある。「瘡」とは瘡蓋(かさぶた)のことで、「できもの」や「かさぶた」だとある。何となく、これは名は体を表し、また、名は体に至るということが、「創価学会」を考える時、よく理解が行くのです。

【参考】

漢和辞典 角川書店 第二版 123頁。
大修館 現代漢和辞典 初版 161頁。
 字通 白川静 平凡社 991頁。
簡明 中日辞典 東方書店 90頁。
新华词典 商务印书馆 1980年 北京 120頁
その他。