2015年6月30日火曜日

仏社会学者トッドとギリシャの欧州離脱 チャルリーヘブド射殺抗議デモは全体主義の嚆矢か?

フランスのバルツ首相は、仏社会学者のエマニュエル・トッド氏を指して「知識人はフランスでは信じられないのである」と最近、発言していた。今年1月7日にパリで起こったチャルリー・ヘブドの風刺画家たちを襲った射殺事件に抗議して、フランス全土で400万人もの歴史的な抗議デモが1月11日に実現した。「私しはチャルリー」は世界の人権と表現の自由を主張する者たちの合言葉になった。トッド氏は「これはイスラム嫌いがフランスの中産階級に広がったからだ」、「かって一度も見たことのない全体主義の嚆矢だ」としたのをバルツ首相が批判したのだ。欧州エコロジー・緑の党のエマニュエル・コォス氏もトッド氏の素性を見抜いている一人で、トッド氏が自分の故郷よりもフランス国しか考えることのできないナショナリストであるとしている。コォス氏からヨーロッパ嫌いを指摘されたトッド氏は、自分はマストリッヒに反対したと言っている。トッド氏によると民主主義というのは英・仏・米がつくったもので、その他の国はこれに追従してきたのであって、ついてこられない人々たちなのだから当然のことだとして見下している。ドイツなどは社会民主主義で、労賃も最低賃金制度がなかったとと指摘する。かなりドイツ嫌いの人で、思ったよりは感情的なところから物をいう人のようだ。(パリ=飛田正夫 2015/06/30 7:55日本標準時)

フランスは女性参政権はつい最近であり、奴隷制廃止も最近だ。だいたい民主主義の中で奴隷制廃止や男女平等が実現してなかった。1789年のフランス革命はあっても、その中味は後の市民権運動のなかで獲得されてきたのである。それだけではない、民主主義にはトッド氏の言い忘れている大事な国がある。それがギリシャだ。民主主義の古典の源流は独・仏・米ではないのである。そして、これらの欧米の民主主義には今もなお大きな欠陥が残っている。それは懐疑でありペシミストであり不信と選民思想である。それは現在の欧米社会の最大の欠陥でもある。信用が金だけで出来上がる仕組みにしてしまったからだ。ヨーロッパでは民主主義は一部の人だけにしか実現できない。残りは排除か体よく削り落とされる。

そこから見るとトッド氏のような欧州懐疑論や欧州解体を希望する意見も当然出てくるのである。とてつもなく暗い深遠を覗かせて、人間の不信が外国人嫌い、難民・移民嫌い、イスラム人嫌い、ドイツ人嫌いには、その基礎となったものは人種差別にも似たキリスト教文明の優越性でり、その文明超越論なのだ。

昨日非常に残念なことだがこの事はひょっとしてだが、チュニジアとリヨン郊外でのテロの後で「テロとの戦いは文明的な戦い」だと話してみせたバルツ仏首相にも言えることだ。この反イスラム主義を声え高々に唱え、キリスト教文明の優越性を主張した先例は実は、サルコジ前大統領であった。フランスの十字軍の招集地オーベルニュ地方のピュィ・アン・ヴェレーの聖堂に登り、サルコジ氏はフランス国内のイスラム教徒を敵に回しフランス国民の中を宗教で分断させて、キリスト教徒を見方につけようとして、恐ろしい画策をしたのであった。

トッドのナショナリズムというのもその域をでられないで、古いカトリックの世界観に呪縛されているものだと思える。この宗教差別の問題は近代の民主主義では解決できなかった。

欧州共同体でギリシャが債務不履行となって、簡単に欧州から出て行くことを期待して話す人たちというのは、ドイツの中にもフランスの中にもいる。しかし欧州共同体は今では経済だけでなく、人の往来が行われる中で文化的な社会面での交流が行われてきている。借金が払われないからと言って、追放でもするようなことになって欧州域内をギリシャが出たのなら、それはまるで家族であるのに、できの悪い息子がいるからと言って、勘当して家に入れないのと同じではないか。国際通貨基金(IFM)の代表がギリシャまで行って借金を返すように催促すると言う。

左派党議長のメランション氏は一昨日、ギリシャを離脱させる欧州共同体の情けなさを嘆いた。人間味を感じる人である。

私もギリシャを欧州から出してドラクマを使わせることには反対だ。通貨のことが一番重要なのではないのである。貧しい国を携えてでもその貧民を捨てないという共同体の精神、つまり人間の血の通ったヨーロッパ文明の回路が切断されてしまう見本をつくってしまうからだ。

欧州の難民・移民の問題とは、かってのそして今の欧州域内という見えない城砦が巡らされた島=ユートピアを支える労働者として不平等な経済搾取を強いられてきた奴隷扱いされてきた人々である。欧州の安楽が不幸の上に気づかれているのである。この人々を救えないで、はじき出そうとしている。欧州内で肌の色や言語の違いから差別してきたのである。この問題を独・仏・米の民主主義は解決できないでいる。トッド氏はこれらの問題を避けているのではないか。だから大統領をやってみたらどうか?と言われたのである。彼にはそういう器も意思さえもないだろう。