2013年6月19日水曜日

フランス初の「バル・ドゥ・マルヌ県立バラ園」を訪問


 「バル・ドゥ・マルヌ県立バラ園」を訪問した。バラ園はパリ南郊外の渓谷を見下ろすライレ・ローズ市の丘の上にあった。入場券が必要で大人3ユーロ。行列ができる混みようで20分待った。待ちながら順番を確保しつつ周囲を眺めているとなんともアジア系の人々が多い。私もそうだが20%は確実にいる。この周辺にはアジア系の人々が多く住んでいるのかもしれない。そして結婚式の後でやって来たと思われるアジア人カップルが数組いて写真を撮っていた。

 同バラ園はフランス最初のもので1918年に開園したがその基は19世紀末(1894年)にJules Gravereauxが築いている。この「バル・ドゥ・マルヌ県のバラ園」1.7haには12000本、3300種のバラがある。外国のバラ、インド・中国・ペルシャ、日本のもあった。フランスのバラ。現代のバラ。野生のバラ。昔のバラとオリエントのバラを掛け合せたものもある。またコレクションされたバラ、マルメゾンのバラなどもある。歴史的人物の名前を冠したバラ。18世紀までまだ知られてなかった旧大陸のバラのコレクション(Le jardin des roses galliques)もあった。

 私の特に気に入ったのは東側と西側の塀をよじ登るようにして植えられた背の高い、中世の庭園や宗教画に出てきそうなバラであった。入り口から右回りに見るか左回りにするかで趣向が変わるだろう。右回りが面白いと思ったのは、東から西へ、そして古いバラから現代のバラへという感じでみるほうが自然だと思ったからだ。

 このバラ園は丘の上にありパリの南郊外が見えると書いたが何故こんな高所にバラ園があるのかはよくわからなかった。バラ園入り口の道路脇に地下の水路を監視する「見張り小屋」が白い石で建てられていた。わたしはこれをダンフェル・ロシュロー付近でも見て知っていた。オルリー近くのウィズス辺りで良い水が出たのでこれを汲みあげてビィエーブル渓谷の右岸の丘を利用してパリへと走る水路を作った。このライレ・ローズの「地下水路監視の小屋」はその時代に作られたもので、この丘を走っていたものだと理解した。

 幾筋もの直線の小道と一種迷路のラビラントを緑のツゲの植え込み木が形ちどっていて、その中にバラが植わっている。ツゲの青臭い匂いがバラの香りを引き立たせていることに気がつくのにはそう時間はかからなかった。バラの花の香りが素晴らしいことを初めて知ったことはここに来た大きな収穫であった。

いくつか撮った写真を紹介したい。






アーチ状の輪(アルソー)
11月ごろまで花をつけている。














玉状(ブール)タイプのバラは樹液をだす。






ドームは樹齢100年を経るバラで飾られている。ドームの中にはファルコネの「水浴の女」(ルーブル)のコピーが置かれている。下を向いた顔の表情には暗い光が宿り、その静謐なやさしさは消えていてひどく悲しそうに見えた。
















ファルコネの「水浴の女」(ルーブル)のコピー