2015年7月1日水曜日

墓の中まで罪と罰金を抱え背負って死亡 仏元内相パスクワの「公金横領」

6月25日のベルサイユ上訴裁判所では、アモン美術館建設にまつわる基金事件でシャルル・パスクワ(Charles Pasqua)もアンドレ・サンチニ(André Santini)も「公共資金横領」罪は明快であり否定し難く、ジャン・マリ・デゥイ(Jean-Marie d'Huy)筆頭弁護士は、弁護しなかった。アモンには執行猶予付き2年間の懲役刑と15万ユーロ(約2250万円)の罰金が宣告された。サルコジ政権下では内相も務めたパスクワとディシィ・レ・ムリノ市議会議員のサンチニの二人には、パスクワに20万ユーロ(約3000万円)の罰金と5年間の被選挙権剝奪。サンチニには15万ユーロ(約 2250万円)の罰金と2年間の被選挙権剝奪が言い渡された。6月30日にはシャルル・パスクワは88歳で「公共資金横領」罪の罪を背負いながら罰金を抱えて死亡してしまった。(パリ=飛田正夫 2015/07/01 13:00日本標準時)
パスクワというと実に多くの犯罪疑惑をもつ欧州議員として有名だ。数えると10はある。アンゴラゲート、ジュネーブ近くのアネマスのカジノ事件、ソフレミ(公立安全機器輸出会社)公金横領事件などで「権力関与」「外国公金横領」などの罪で起訴された。2010年には欧州議員選挙での不法金使用で執行猶予付き18ヶ月の禁固刑が最終判決で決まっている。ソフレミ事件ではフランス共和国裁判所により執行猶予付き1年の禁固が判決されていた。

1960年に市民警察協会SAC(Service d'action civique)をつくりアルジェリア戦争で共産党と闘った。シラク内閣とその後バラデュー内閣に転向して二度内務大臣になっている。1968年、パリ西近郊のオート・ド・セーヌ県の上院議員になった。

1981年にはジャック・シラクの重鎮で初のコアビタションの時に1986年に内相になった。
1986年12月5日。デバケ法に反対する学生抗議デモ鎮圧で、その時にマリク・ウセキン(Malik Oussekine)氏が殺害されている。この時代に有名な治安大臣であった名前をつけたパスクワ法ができて、多くの移民が滞在許可証所得で苦労をかけらている。

エドワード・バラデューの1995年の仏大統領選挙を睨み、その前年にパスクワはシラクを離れバラデュー側につく。このバスクワの「裏切り」は両者の間を厳しいものに下。シラクは絶対に和解していない。バラデュー内閣の内相を1993年-1995年まで続ける。

二期目の警視総監を務めていたころにパリのナション広場のマニフェスタションで銃撃戦があり、死刑復活を主張している。

1994年にアルジェリア航空がテロリストに乗っ取られた。アルジェとパリの定期便で1994年12月24日から26日にかけての出来事で、パスクワは内相であった。パリに向かった飛行機はマルセイユで給油の為に着陸した。そのときに軍隊の特殊部隊を突撃させてテロリスト4人を殺害した。負傷は11人が出た。このときにアルジェリアに引き続きフランス側とのテロとの交渉中に乗客3人が死んでいる。パスクワはこの事件の跡で「テロリストにはテロを加えなければならない」と発言したのは有名だ。

【参考記事】
Procès Hamon : sursis et inéligibilité requises contre Pasqua et Santini
21 Mai 2015, 16h48 | MAJ : 21 Mai 2015, 16h54
http://www.leparisien.fr/issy-les-moulineaux-92130/issy-les-moulineaux-au-proces-hamon-prison-avec-sursis-et-ineligibilite-requises-contre-pasqua-et-santini-21-05-2015-4790757.php
Charles Pasqua. Coups d'éclat et part d'ombre d'une éminence grise
France - 30 Juin
écouter
http://www.ouest-france.fr/charles-pasqua-les-pierres-blanches-dune-eminence-grise-3524409