2014年5月16日金曜日

「回想のベル・エポック 世紀末からの夢と享楽」 山田勝著を読む

「回想のベル・エポック 世紀末からの夢と享楽」 山田勝著(NHK BOOKS 1990)を読んでみた。読み終わって本を閉じてみると作者が何を言いたかったのだろうかと考えてしまう。その日の夕刻に近くの森の中を散歩しているとある画家に出会った。私はこの本のことを話してみた。イギリスのプロテスタントとは違ってフランスのカトリック教徒は卑猥な生活の側面を隠さずにもっている。イギリスの紳士などはそれが無くて娼婦を買いにフランスまでやって来る。いったいこれはどういうことなのか。私はこの画家がプロテスタントであることを知っているので自然こういう質問になったのだと思う。

するとこの画家の答えるのには、カトリックでは謝罪すればすべて許されるがプロテスタントではそんな許されるという事はないのだというのである。なるほどそういうことであったのだ。「回想のベル・エポック 世紀末からの夢と享楽」の課題はこのことをずばりと書いてないためであったのだとその時に気づいたのである。

この本の何箇所かでバルザックの小説「谷間の百合」の話しが出て来る。「男を魅了する行為は、ピューリタン精神のもとでは悪徳視されるが、カソリシズムのフランスではそうはみなされなかった」と山田氏は主張する。これを説明する的確な引用だとは思えないが次のように続けて書いている。「バルザックも『谷間の百合』で、フランス婦人の魂が、理性的で打算的なイギリス婦人の愛に対してもつ優越性は、カソリシズムとプロテスタンティズムの差である・プロテスタンティズムは、疑い、調べ、信仰を殺す。したがって、それは芸術と愛の視を意味する」(64頁)

山田氏はこの本のなかでフランスの性道徳についてそのイギリスとの相違を何度も何度も繰り返し述べてはいるが、その原因は深く追跡していない。「プロテスタント精神の堅苦しさに支配された19世紀イギリスにも、抑圧発散の場ができたのは興味深い」(18頁)として「享楽の血潮の噴出であった」(34頁)として夜の女性や娯楽場の出現が述べられている。

森の中で出会った画家の話は次のような結論であった。今はルネサッンス以後はプロテスタントもカトリックも変わらなくなったということらしい。しかしダイアナが人の目を逃れてフランスに遊びに来ていたとかいう話は、山田氏が何度も取り上げたイギリスの王侯貴族がフランスに娼婦を買いにきていたというのと余り変わってない。窮屈な精神主義の表向きだけきれな道徳で身を飾るプロテスタントの宗教意識が今でも続いているといえそうだ。

この本の気になるのは、「ベル・エポック」を貴族の視点からよい時代であり、「ベル・エポックには、大衆の夢はそれなりにかなえられ、以前よりも安楽な生活が送れる者が続出したことは確かである」(113頁)と認識していることだ。つまり「ベル・エポック」は貧困階級の人々にとっても相対的には幸せであったと見ている点である。そこにフランスとイギリスとの宗教観の違いから来る、生活態度の違いによるフランスでの「絢爛たる華をさかせたところ」だとして、モンマルトル地区やパレ・ロワイヤル界隈の「娼館」を指摘している。こういうのが「ベル・エポック」の華で「人生賛歌の完熟期を迎えた」(88頁)だという山田氏の認識である。そしてバルザックを引用しパリを「この都市は、豊満な肉体をもち、、心におさえきれない激しい欲望をいだいた女王」だと言わせている。 

著者は「ベル・エポック」が大衆の愚鈍化を招いた」といっている。一方で貴族性と美が失われていく時代を憂えていてこれが「世紀末」であり「階級制の混乱と美の喪失に拍車をかけた時代」だとしている。この本の理解の困難性はここにある。つまり著者の視点が民主主義は悪い面もあってそれがエレガンスの価値を民主主義の悪弊を助長させたと見ているようである。しかし多くの貧しい人の立場からこの「ベル・エポック」を見ることが実は必要であったのではないかという気がする。そういう「ベル・エポック」の見方もすべきである。必ずしもその立場からこの本は書かれているのではないということがいえるからだ。著者の趣味の問題なのかもしれない。

もう一つの混乱はやはりイギリスとフランスとを一緒に論じている点で両者の相違が不明確になっているように思える。ラスキンとかモリスの名前がでるが空想的社会主義の言葉は一言もでていない。キリスト教と性の問題はイギリスとフランスを相対させえる場合に重要である。山田氏はそれを簡単に引用で触れるだけであったが、もっと掘り下げて論じるべきであった。