2014年8月28日木曜日

「日本王権論」綱野喜彦・上野千鶴子・宮田登 共著 春秋社 1988年を読む。

「日本王権論」綱野喜彦・上野千鶴子・宮田登 共著 春秋社 1988年を読む。歴史学者の網野氏と社会学者というか構造論を引っさげて論じた上野さんと民俗学者の宮田氏の鼎談で、私はこれを非常に面白く読んだ。特に天皇制の支配の扱い方に日本社会の体系・法則みたいなものを追及することを急ぐ必要はないということだが、その背後にあるさらにその奥にある、網野氏の言葉で言えば、「あの世」とか「神仏と関係ある人間」が見えてこないという言葉はおもしろかった。この一点が他の2人と異なる網野氏のよい着眼点であったのだと思える。

この宗教が天皇制に大きく関係しているということを何度か本書で網野氏は喚起をしているのだが、ただしそれを論理付けて詳しくは話しはしなかった。

天皇制における神道と仏教の問題は大きいはずなのに一言も話されてないのはどういうわけなのだろうか。外来性を問題にしながら仏教を保護しようとした曽我氏やそれに反対した物部氏との闘争が論じられていない。そこから神道と天皇は鎌倉時代頃に仏教の体系の中に移し置かれ天照大神や八万大菩薩も、仏教の機能神としての位置付けが再定義されていたことにも論及がなされてなかったのはどうしてなのか?

天皇の神権性ともいうべき神との繋がりがどういう風な形で婚姻の構造からでもいいが、これを上野さんも論じていないのは不思議であった。神武天皇の母親が竜女であるとする神話に関し話がなされなかったのが残念であった。

これらがすでに宗教的な人間の救済論として天皇である中世には存在したのであって、そこから天皇を神としない天皇制廃止の道も豊かな戦略で鎌倉時代には明らかにされていたわけだが、これも論じられなかった。

日本の歴史学や人類学のこの方面の研究は3者ともやることが多すぎるほどあるということを言っておられるが、そういう現状をいう事でいいわけをしたのだろうか。あるいは知らない事は言わないという知的禁欲を守ったためなのか。

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