2015年12月7日月曜日

欧米の価値嫌悪のイスラムISテロに 「報復」・「復讐」の四文字を避け 欧米キリスト教社会は「テロ阻止」で反撃

「歴史から学ぶこと」が必要だと思います。また私たちが「歴史にあったはずの、まだ語られてないことを学ぶ」ということの重大性も、最近感じています。ヨーロッパ世界は特にそうですが、東洋の叡智を、その中にいる日本人でさえも、例えば最近の「創価学会」のように忘れ捨て去ってしまっている。これは非常に残念な事であると思っているのです。ダエッシュ=イスラム主義国家組織(IS)のテロの「報復」・「復讐」の四文字をヨーロッパキリスト教社会の価値は嫌い避けて、テロ「阻止」で反撃をしている。そこに新たな戦争の構図でもって、殺戮が繰り返されている。(パリ=飛田正夫2015/12/07 16:47
日本標準時 )

戦争は、領土とか他国民を支配する一つの手段だと思います。が、そこに必ず殺害があるわけです。戦争を禁じ制限する憲法や法律が、たとえあっても、人間を絶対に殺害してはいけないという思想を基盤にしているわけではないので、戦争が起こるのです。

「人間を絶対に殺害してはいけないという思想」、これが大問題なのですが、一応はキリスト教やイスラム教も人を殺すことはいけないとはいうのです。しかし実際には人を殺して来ている。戦争をするのです。イスラム教徒は、「目には目を」「歯には歯を」ですから「報復」とか「復讐」の思想なわけです。現代のキリスト教徒であるフランスやドイツ人にはそれが簡単にはできない。やれば「報復」とか「復讐」になり、人を殺害すればこれは野蛮人になるからです。この辺で現代の欧米は揺れて来ているわけです。サルコジ前大統領のリビア空爆では無差別でした。だからオランド仏大統領は偵察機を飛ばし情報を集めて戦略拠点を決めて爆破している。そういう違いはあっても人を殺害することには変わりはありません。今後は、ダエッシュ=イスラム主義国家組織(IS)はゲリラ化して一般市民を巻き込んで、人質にして闘うようになっていくでしょう。

只、ヨーロッパはこの戦いを「報復」・「復讐」としては考えない。パリ同時テロ襲撃事件一色になりましたが、それでもそうは考えないようにしている努力がうかがえます。新聞ラジオ・テレビのメディアにはこの四文字「報復」・「復讐」は見聞してないのです。勿論のこと、フランス人の中には腸が煮え切っている人は多いのでしょうが、顔色や声には出さないのです。ですから言っていることとやっていることに乖離が出て来るのです。昨日12月6日の仏地方選挙では全国の投票数ではペンの極右派系国民戦線(FN)がトップでした。フランス人の心の中にこの四文字が刻まれて来ているのです。

「人間を絶対に殺害してはいけないという思想」が、近代のキリスト教的西欧ヒューマニズムにも不在な為に、現実の世界で殺傷がいくらでも拡大化してきている。これが自己の心の中の理想と現実との乖離となって焦燥感にさいなまれているのです。ひょっとしてダエッシュ=イスラム主義国家組織(IS)をテロリストとして悪魔扱いすることで、悪魔ならば殺害がゆるされるとして戦っているのかもしれない。他方で、自分らもまた彼らとイスラム聖戦主義者と同じなのではないのかという大きな自己不信感がそこにあるのです。

みんなが仲良く一緒に暮らす共和制をうたい、人間の平等を主張する近代社会が勝ち取った価値である民主主義を偽善として疑う不安があるのです。暴力や殺害で問題を解決しようとするマリーヌ・ペンの極右派系国民戦線(FN)が蔓延し大躍進してきつつある。ファシズムが移民・難民問題やのテロリスト問題を解決する手段になりつつあるのです。

「人間を絶対に殺害してはいけないという思想」は、たとえ哲学・思想・宗教のテーマだとしても、口先だけの標語ではどうしようもない。「なぜ人を殺してはいけないのか」これを解き明かし、禁ずる手段・方法をもった思想が我々には必要なのです。我々の心の中にある「人を支配する最大の手段である戦争」=「自分や他人を殺害する死への欲望」、を制御できることが必要です。