2013年12月14日土曜日

【ルポ】モンサンミッシェル修道院 僧侶と語る悪魔・天使・ホモ結婚・神・イスラムなど


第一回 

1)モンサンミッシェル修道院の悪魔の竜のこと
モンサンミッシェル修道院の夕暮れ.。海の引いた砂浜がシルエットのスクリーンになった。撮影は筆者。



「私はここのサンミッシェル像が嫌いだ」と大きなメガネが顔面を覆った高僧のニコラ師はついに口に漏らした。誰も天使など見たことがないし、みんな夢の中で見るので天国の門を守るというサンミッシェル(ミカエル)の天使像も様々である。

ここの本堂にある15世紀の木彫は天使ミカエルが悪魔の竜を足蹴にして長槍で突っついているのでそれが嫌いなのだという。

青年僧のセバスチャン師は、「本堂のものは悪魔の竜をいじめているのであって、もっと凄いのは高さ140メートルの尖塔に置かれたサンミッシェル像である」と言った。剣をかざし竜を退治しているからだという。


モンサンミッシェル修道院の北側の出口近くに置いてある天使ミカエル像。尖塔に乗っているフレミエの作品の原型で、ウンボと呼ばれる盾の一部を持ち、剣を抜きかざし、竜(悪魔)を足蹴にして切りかかろうとしている残忍なもの。ここにはキリスト教以外の、例えば異教のイスラム教徒ならば悪魔呼ばわりして殺しても良いとする中世の十字軍の考えを否定するものが今の僧侶たちにはあるようだが、フランスの大統領の中には選挙を前に聖戦を唱えた者もいたりする。

これは、「本堂のものよりも更に残忍なものだ」と語った。どうもカトリックの僧侶たちはモンサンミッシェル修道院の天使ミカエル像が好きではないようだ。もっとも竜は中国では神秘な架空の神であるがキリスト教では悪魔(サタン)として扱われている。中国人が最近、モンサンミッシェル修道院を嬉々として観光訪問しているのには理解できない。日本での竜の扱われ方や理解のされかたは詳しくはわからないが、天皇家の神話にも竜女の系譜があるようだ。

青年僧のセバスチャン。これから砂漠に出かけるのだと私に言った。

青年僧のセバスチャンとはモンサンミッシェル修道院への坂道の途中で出あったがこれは二回目であった。今回は彼は一人の青年のキリスト教信徒を伴っていた。背には大きなリックを背負っている。足はサンダルで靴下ははいてなかった。これから砂漠に出かけるのだと私に言った。いつ帰ってくるかわからないといった。ここに戻ってくるかどうかもわからないと話す。やや悲惨な覚悟の表現であり、砂漠へいくというのも私には驚きであった。私は彼れとは前にキリスト教における因果論や永遠性をこの参道で立ち話しをしている。

天使サンミッシェルが持っている天秤で人の魂を量り天国と地獄を決めるというが、天秤は常に相対的なもので片方の分銅により測られる方が上下に変化するものではないのか?と質問すると、セバスチャン僧は「それはそうだが、神の前の判定では秤は絶対的なものになるのだ」と答えている。私は、「人間を計量することは誰もできない。一人の人間の尊厳の重さは誰も測れない」「それは人権を量るどんな金銀財宝も存在しないからである」と反論してみた。

同僧は「それはそうです」と以外にも簡単に私の意見に同意を示したが、彼は「神こそが測れるのです」と自論をくり返している。そこでは秤りは必要でなくなっているのである。それでも天秤を手に持って人間をあれこれと量かろうとしているということは、天使や神ならば量れるという傲慢な意思があり、実は彼らが量られているのではないか?と、私は続けて言おうとしたが理になお惑っているのだと思いやめた。


2)僧侶のホモ結婚に反対する理由

この秋にフランスは、ホモ法案にカトリック教徒が大反対する中で、同性愛者(ホモ)の結婚を認める世界で14番目の国になった。筆者が、「キリストというのは試験管ベービーであり、拾い子の養子だったのかも知れない」と言うと、ニコラ僧は少し考えてから、「そういえるかもしれない」と目を輝かせ両手を顔の脇に挙げて驚いた表情で答えた。これには、後悔したのか後日これを否定してきた。



モンサンミッシェル修道院の僧侶は忙しい。フランスや欧州だけでなく世界各国から訪問客がある。その応対やセミナーを僧侶を中心に行なっている最中。この空間は南側斜面の太陽のあたるヴァビロンの空中庭園のような良い場所にあった。

ホモ法案反対デモでは、カトリック教徒たちは「子供には一人の母親と一人の父親を持つ権利がある」と掲げた横断幕をかざしていた。しかし世の中には生まれながらにして親のない子供は多く、事故や死によって両親を失った子供は多いのではないかと話すと。草履から裸の足を出して寒そうにしているセバスチャン僧は、「それは理想なのであって、二人の母親は認めない。反対なのだ」と答えた。

キリストの出生に関し質問すると、「三位一体説は三世紀頃からあった」という。マリアと言う実在する母親からキリストは生まれたが、父親ヨゼフとの間には家庭生活を認めない。認めれば人間を両親に持つ普通の子供になってしまうからなのか。



ここはモンサンミッシェル修道院の大階段を登る左側(上の写真では奥の開いた扉の所)が僧侶の住む空間の入り口になっている。直ぐ螺旋階段が上階に続いていて僧侶たちの部屋がある。聖画が置かれていて接待室となっている。最近修復がなされ石が白く綺麗になっている。その修復の間は村の下方にある巡礼者のための宿泊所が僧侶たちの仮住居になっていた。
キリスト教の解釈では神の聖霊がマリアに宿って妊娠したという。筆者は、それならばキリストの出自とは、現在のフランスのホモ結婚問題が背負っているものと同じことになると思うがと質問。女性のホモの結婚では子供は試験管ベービーになるし、男性のホモでは養子縁組となるからだ。ホモ結婚の承認とは、つまりそれらを認めることになる。

ホモの子孫を認めることはキリストと同様にして生まれてくる子供のことであって、これでは神を多量に創りだすことになる。それで反対しているのではないか?セバスチャンン僧はこれには答えなかった。



3)キリスト教徒はイスラム殺害の十字軍を後悔

あらゆる道徳・宗教の根源は人を殺さないということだと思うが、なぜキリスト教はイスラム教徒の殺害を許す十字軍遠征をしたのか?と質問した時ほどニコラ僧の悲しげな顔を見たことが無かった。ニコラ僧は大柄な体躯を小さく丸めながら、「遠い昔の歴史のことは良くわからないけれども」と言って話し始めた。


ニコラ僧は部屋を案内してくれた。写真は玄関下に降りたフロワーから左奥を撮ったもの。左奥に食堂兼集会室がある。その手前は食料置き場が右で左側が現代的なキッチンとなっていた。料理は当番制だという。


「今のキリスト教はそれを許してはいないのです」「ジャンポールⅡ世がこれを後悔して謝罪しているのです」と答えた。私はそのことを知らなかったので非常な驚きであった。

キリスト教文明が自己を完全な善として他を悪として差別し処罰する殺害意欲を私は危惧していたが、このような僧侶の人種差別や異教徒殺害への自己批判の言葉を聞くことは余り馴染みのないことであった。キリスト教が変化して来ているのだろうか。
(つづく)







第二回

4) モンサンミッシェルの修道士の食事のこと


モンサンミッシェル修道院の二コラ僧は一度食事に来るように前から私にいっていた。今回その機会がきたのだが、昼食はすんだので一応断ったが是非というので行って見ることにした。私の席が急遽つくられて座るように言って来た。南側の窓を背にして左右に袖のようにコの字に並べたテーブルの中央左に座席が設けられていた。僧侶は4人で来客は1人の婦人と2人の男性と二年前から同居しているという黒人の男性1人と私とであった。私の右隣にはモンサンミッシェル修道院長フランソワ・マリ僧が座った。彼は黒いスカートのような服の左ポケットに手を入れて何かごそごそと探していたが、青と赤のポールペンともう一本の筆記用具を取り出して目の前のテーブルに載せた。

今日の食事係のニコラ僧、大広間が集会室兼食堂になっている。

この人がモンサンミッシェルの修道院長だと後で名前を教えてくれたのは右側末席に座っていたガブリエル僧であった。この僧は前に何度か出会って知っていたが挨拶ぐらいで今回話す機会ができた。かれは近隣のポントルソンの町の中小企業に出稼ぎなのか週に2回ほど働きにいっていて修道院の経営に役立てているのだと話した。

今日は、食事の準備はニコラ僧が係りらしくあわただしくミサが終わり大階段を駆け下りて来ると約束して待っていた来賓の婦人を見つけそこではなくこちらから入るのですと案内していた。今日はそんなに寒くないがニコラ僧はサンダルの素足ではなく紺色の靴下を履いていた。冬だから当然だが晩秋の寒いころは確か素足で寒そうにしていた。靴下をはきはじめる期日と言ったものがあるのかどうかはわからない。

ニコラ僧はパンを切り分け籠に入れる。チーズを確認し蓋をした。3種類のチーズが皿にのって既に食事兼集会室の大テーブルの脇に置かれていた。この皿が全部で3つあった。

メニューは、まず野菜でマッシュとよばれる青サラダに酢に油が浮いたソースをかけて食べる。次にオムレッツと野菜やケチャップで調理されたパスタがメインだ。そのあとに部屋に準備されて置いたチーズがでた。その後はデザートはリンゴパイだった。

モンサンミッシェル修道院の食事直前のテーブル。皿やホーク、ナイフにスプーンなどクベールが準備されパン籠がテーブルに乗せられた。


順番にこれらをテーブルの中央にいる修道院長のところに先ず全部もってきてそれを左右に受け渡していくのである。好きなだけ各自が取り残るとまた食事係りのニコラ僧が中央テーブルの修道院長のところに持っていく。また同じように左右にサラダボールやオムレツの入った容器などが動くのである。みんなはお腹がすいているのか音楽がうるさいのだがそれにも負けずに皿とナイフがぶつかる音が聞こえていた。

食事の間も準備の間も誰も話しをしない。食事が終わって片付けはみんなで手分けしてしていたがこの間も誰も話しをしていなかった。黙々と食べるのだ。一番右はずれに席のあったにあったニコラ僧は絶えず食事の配膳に注意していて食べている暇がない。みんなよりも遅れて食べ始まるのですでに料理がボール皿に残っていないという感じであった。

写真左側が南窓でその中央に修道院長が座った。ニコラ僧は右端に座りその隣にガブリエル僧が座った。ジャン・マリ僧は奥の左端に座った。水壷が幾つかテーブルの上に置かれている。塩の小瓶も幾つかありこれはキリスト教ではキリストの存在を表すとどこかで読んだように記憶していたが、どうも修道院長の意見はこれとは異なるようで首を振った。それとも今は話してはならないので後にしようということだったのかもしれない。部屋は2年前に改装工事がなされて綺麗になった食堂兼集会室。

それで急いで食べているのだが、終わらないうちに、左どなりに背筋を伸ばしてやや左向きに傾いて座っていたガブリエル僧がニコラ僧にすばやく右手の人差し指と中指とでV字にしてハサミを使うようにパチパチと二回やった。そうすると反射的にニコラ僧は食事を中止して黙って立ち上がり白い皿に乗ったチーズに蓋のある容器に戻してそれを持って厨房の方へかけ去った。少しすると今度は丸い大きなリンゴパイを両手でもって私たちの前に現れた。食事に参加した人数分なのだろうか?既に切れ目が入っていた。あとで気づいたのだが一つだけひどく小さなパイがあった。これは急に人数が増えた私のぶんだったのかもしれない。

ジャン・マリ僧はチーズが好きなのか3種類とも全部大きく切って自分の皿にのせゆっくりと黙って指で皮をむきながら食べている。音楽の何小節かが終わり隣の僧は口の中に指をいれ何か考え事でもしているのか虚空をみている。これはガブリエル僧も同様で何かを考えているのか見ているのかそれは傍目には不思議な光景であった。

食事に先立ってジャン・マリ僧が今日の音楽を紹介した。17世紀のビィベル(Biber)とかいうバロック音楽の作曲家のもので作品はLitanige de sancto Josepheとかいった。食事をしながら聞くのにはひどくうるさい退屈な音楽だった。これでは話す者がたとえあったとしても何も聞き取れないといったほど大きな音で音楽は流れていた。

手前はジャン・マリ僧。背後には食事に参加した人たちが全員で食事の片付けをしている。

モンサンミッシェル修道院長フランソワ・マリ僧にいつも音楽を聴きながら食事をするのかと聞くと週に2回は音楽を聴くが、その他の日は祈祷書を聞きながら食べるのだと答えている。今日の音楽の名前や作曲家のことを聞くと知らないからジャン・マリ僧が係りだからと答えた。ジャン・マリ僧の好みの選曲なのか?ジャン・マリ僧はレンズが上下と左右でその厚さが異なっていてしかもレンズに水平に何本もの筋が入っているという凄いメガネをしていてちょっとみると仙人のようなアゴ髭と白い頭髪を持っていて仙人のようで修道士といった人だ。しかし話しかたはひどくやさいい鄙びた声で時々話しを止めながらゆっくりと話す。以前かれは私に、年間10冊ほどの書しか読まないのだと語っていて、科学の書物が好きらしい。修行なのか布教のためなのかブルターニュの奥地へ悲壮な旅の姿で出かけたりもする。

私の右側のテーブルに座った客は男性で大きなパイを取った。その隣の黒人の痩せた男性は2年前からここに住んでいるのだという。この男性が小さなパイをお皿に取った。寒いのか長い襟巻きをぐるぐる巻いて食べていた。私がそれに気がついたので合図すると、わかったらしくかまわないのだといった様子をみせた。

ニコラ僧が左のテーブルにやってきて残った一切れのパイと皿を持って自分の席に戻った。食事は終わりに近づいていて修道院長はナプキンを床にパタパタとやってからたたみ口もとを拭きそれでテーブルをきれいに拭いた。

食事が終わった後に日本から来たお菓子というのを進められた。私は遠慮したがどこかの日本人がお土産に持ってきたものなのだろう。他にも珍しいお菓子がでた。



5) モンサンミッシェルの修道士はパリのサンジェルベ教会が本拠地


どうして僧侶がこのモンサンミッシェルにいるのかと質問すると、ガブリエル僧は現在モンサンミッシェル修道院に修道士が住んでいるのは2001年にアバランシュのフィヘイ(Fihey)枢機卿がフラタニテ・モナステッィク・ド・ジュルサレムの我々をここによんだからなのだといった。この宗派はフランスに10ほどあってその本拠地はパリ市長舎裏のコンパニオナージュがある隣のサンジェルベ教会だといった。そして他にはこの宗派はブルゴーニュ地方の第二回十字軍の招集があったベズレー修道院にもいるのだと話した。

どうすれば僧侶になれるのかと聞くと、中世では誰でもが僧にはなれなかった。しばしば貴族の3男が僧になったと語った。今は神が呼んでいることを感じたものが僧になるという。ある種の不思議な神のおぼし召しによるのだとガブリエル僧はいった。

最後に教会は階級社会なのか?と聞いてみた。みんな神の兄弟で従者であるがその代表を選挙で選んでいる。投票はキリスト教の僧が発明したものだといった。服従の意味には限定的意味を付与しているようで、上の者に絶対服従だというキリスト教社会に関しては同僧はそれを否定する積極的な意見はなかった。