2013年9月6日金曜日

サルコジ前仏大統領 シリア情勢にコメントなし オランドへの罠の後で


   サルコジ前仏大統領のシリア対応の意見が無いことがサルコジを支持する国民運動連合(UMP)の議員には物足りなくなっている。 サルコジは性急に口を開かずシリア情勢の成り行きを伺っているようだ。8月にサルコジはシリア危機は自分の軍事介入したリビアと相似しているとしながら、国際社会に対し活発なシリア介入を急ぐように要求した。オランドはこれを罠だと感知してかサルコと同じ考えをしてないことを示すために、アサドを襲撃し殺害しない方向でオランドは局地的なアサド制裁を一国ではなくて米国や連合国の拡大化で考えだした。その間に英国議会がキャメロン英首相の意思とは逆にシリアへの軍事制裁に反対してオランドとの連合を離れることになった。今の状況において、サルコジがシリア問題に首を突っ込まないのは過去のアサド体制との蜜月がどう評価されるのか?批判されてくるのかが判断できないためである。

  オランド仏大統領は、サルコジ前大統領が議会決議を経ずして独自の判断で開始したリビアの独裁者カダフィへの空爆などと同様に、シリアの独裁者アサドにおいてもフランス共和国の大統領権限を行使してのシリア制裁をサルコジが期待していたことに最近になって気がついたようで、そのためオランダのシリア制裁は軌道修正することになった。

 そのことでオランドがサルコジと同じ罪、もしくは同じ褒章を得ることになり、つまりどちらの場合でも社会党政権がサルコジを裁かないことになるのをサルコジは欲していたと考えられる。

  2008年の7月14日のフランス革命記念日にはシャンゼリゼのコンコルド広場の来賓席にこのシリアの独裁者を当時のサルコジ大統領は招待し仏軍の行進を閲兵させた。この当時からアサド体制の持つ化学兵器は反人権の象徴として話題になっていて、これとの同席をきらったフランソワ・レブサマン(François Rebsamen)社会党ディジョン市長は革命祭を欠席している。

 アラブ諸国の春の胎動の中、フランスを短期訪問したアサドはエリゼ大統領官邸でサルコジに会って、同仏大統領が探し求めていたリビアの独裁者でサルコジの2007年の大統領選挙運動資金を提供したとされるカダフィの居所を、シリアのアサドは自分の見の安全を常任理事国のフランスに援護して助けてもらうことと引き換えに、カダフィの電話番号を教えたとされている。もちろんサルコジはこれを否定している。その後カダフィ大佐は砂漠に隠れていたのが発見されて爆撃され逮捕された直後に何者かによって殺害されてしまう。

 欧州議会やG20での米仏など連合国のシリアへの局部限定的軍事介入国の拡大交渉が失敗に終われば、オランド仏大統領は国民運動連合(UMP)やサルコジ氏からの揺さぶりが加えられてくることが予想される。

 6日午後に予定されているオランド仏大統領とオバマ米大統領とのG20での会談が期待されている。人が殺害されることには反対だが独裁者の化学兵器を使用して数百人も殺戮することを見逃してしまうことは国際社会の民主主義の水準を揺るがせることになるとオランドは考えている。そうなれば北朝鮮や核をもつイランなどの今後の振る舞いに影響することは必然だ。


【参考記事】

Nicolas Sarkozy et la Syrie, un silence expressif

LE JEUDI 5 SEPTEMBRE 2013 À 18:00