2016年12月10日土曜日

「本尊問答抄」フランスで日蓮大聖人の『御書』を拝す

「本尊問答抄」(平成新編1274頁-1283頁)は問答形式の御書である。そこでは、本尊に様々な形があるのはどうしてなのか、そしてどれが釈尊の本当の本尊なのかという問いがある。念仏や真言は阿弥陀仏や大日如来という所謂、仏像を本尊としているが、それに対して、日蓮大聖人は釈迦や天台の言ったように「法華経」という経を本尊として立てるのだと「本尊問答抄」で話されている。

不空三蔵の「法華儀軌」というのは「宝塔品」の文によっているのであり、「法華経の教主」釈迦・多宝をもって法華経の本尊としているのであって、これは「法華経の正意にはあらず」と日蓮大聖人は言われているわけだ。つまり不空の読みが誤り多かったことを指摘されている。

日蓮大聖人はこの様な造立仏の読みを否定されて、諸仏出生の根源を「法華経」であるとされている。釈尊もこの「法華経」によって仏になったのだと言われている。ここに釈尊自身が悟った「法華経」が三世常住に渡る仏観であったという見解があるのだと拝したい。

もう一つの私の関心は、日蓮大聖人が「本尊問答抄」でも、ご自身の末法出生の意義を年代に託して意識して示されていることであった。それは「四百余年」(1279頁、1280頁)と言われ「二千二百三十余年が間」(1283頁)と言われているからである。

その「四百余年」の間に、弘法・慈覚・智証の真言の三大師が天台の「法華経」をないがしろにして巧みに隠し葬り去って法華・真言の勝劣に迷った邪義で日本国を狂わせたことをここに示されている。その仏教破壊の顛倒した真言密教の教えが日本を亡国にした原因だと話されている。この日蓮大聖人が指摘されている「四百余年」というのは日本に仏教が灰燼しそうになっていた時代で、都が平安京に遷都されて、最澄が天台・法華宗(805年)を開き、天台宗から離れて仏教を嫌う弘法・空海が真言宗(806年)を開いたのもその頃に始まる。

仏教文化の逆の国風文化の思想の中には、古今和歌集・枕草子や源氏物語などの国風文化や平安末期の法然の浄土宗(1175)の影響を受けた新古今和歌集や方丈記などは仏教文化の影響というよりは、真言や念仏の他仏を信仰する反仏教的な思想であったと見るべきものだと考えたい。これを日蓮大聖人が指摘されるまでに「四百余年」の歳月が流れ仏教の正邪に迷っていた危機の時代であったと私は拝したのである。