2018年1月24日水曜日

創価学会や真言が「盗人の法」を構えるとはどういうことか?

私が見るところでは、創価学会や真言宗にはこの「盗法」とか「盗人の法」を構えてできていると考えられるわけですが、これは後でお話ししたいと思います。ここでは戒律についていろいろと宗派によってあって、真言宗などは四重禁戒を犯すと駄目なのです。百戒・二百戒などを保たないと成仏できないと小乗経、大乗経などでも立てる宗派があるわけです。この戒が一つしかないのが前にWeberさんの言われていた「妙法」のことなのです。耳に逆らうかもしれませんが、本当の仏法というのはこれを唱えることを金剛宝器戒といってこれだけなのです。教えが高くなると多くの人を救えるだけでなく、同時に守るべき戒律もどんどん少なくなってくるわけです。日蓮大聖人の仏法ではこの「妙法」を唱える事だけです。現代の法律もそうかもしれないですが、教え自体に救済の力がないと濁悪世の悪人や聖人君主ばかりでない荒凡夫の多い末法現代の人々を救えないわけで、その場合に戒律で肉を食べてはいけないとか女性と一緒にいてはだめだとかいろいろあるわけで人間の行為を縛るわけです。

そうしないとどうしようもない極悪の犯罪人やテロリストなどは救えないのですね。早い話が牢獄にぶち込んで、或いは日本やアメリカならば裁判もかけずに死刑にするか、その前に撃ち殺してしまうかもしれない。ビンラデンの最後などはそうでした。それは法律や禁誡は数限りあってもそれが人間を本当に救えないからなのです。仏教はインドの釈尊が始めたものですが、釈尊自身も初めから仏であったのではなくて、やはり修行を積んで戒律を守って次第梯とう(手偏に登)の五十二位の段階を経ていわゆる歴劫修行を経て成仏したことになっている。これが歴史的な釈尊観なのです。つまりこの世で生まれこの世で出家し修行を積んである時に菩提樹の下で牧女の捧げる乳を飲み清涼として悟りを得た。つまり我本行菩薩道の姿をとるわけです。初めから仏ではなかったということは、何かを悟って釈尊は成仏したことになる。その何かとは何なのかを釈尊は明快には明かしてないのです。そこに一番仏でない釈迦牟尼仏の生命の限界があり救済の限界があるわけです。


しかし此れを翻って理解する時に釈尊の「法華経」に秘沈された法門というものによって釈尊自身が成仏の種子を得たと解釈したのが、ある意味で中国の天台大師だったのでしょう。日本の日蓮大聖人はその天台の教法を継承しながらも、更にこれを「妙法」という不思議の一法に結実させたと言えると拝します。ですからこの天台と日蓮大聖人との法門には天地雲泥の差があるわけです。その差はこの成仏の種子を現したか顕さなかったかという事です。天台は内鑑冷然外適時宜(ないがんれいねんげちゃくじぎ)であったので、自行としてはこの「妙法」を心の中で唱えても末法という時が来なかったので外に向かって人々に教えなかった。天台は像法時代の人ですから、例え自分が儡病患者になってでも末法に生まれたいと言っているわけです。しかし末法の法華経弘教に立ち起こる大難に堪えられないし権限がないのです。


正像末の三時の教法の次第からもこの釈尊在世の「法華経」と像法時代の「天台大師の一念三千の法華経」、そして末法濁悪出現の日蓮大聖人の唱えられた「妙法」とは全く内容が事なるわけだと思うのです。釈尊や天台は無理に真実の成仏の種子を人々に説き示したのではなく、聞く耳のある人や理解力の優れた人々だけを救ったのです。


髄他意で布教したために悪人やどうしようもないテロリストなどは救わなかったのです。末法には色々な仏教が出てきます。弘法大師というのもそうで真言宗を立てるのですが、この人が中国に留学して伝教の後から日本に帰国してくる。中国では中国天台宗を学び真言教も勉強してきてこれを日本に広めたのです。その時に自愛所持の真言教を広めるには、やはり天台の「法華経」の一念三千が邪魔になった。ここで一考を案じ、一念三千の玉は自愛の真言教の教えの中にもあり、この玉を盗み「法華経」の中に取り込んだのこそ天台であり伝教なのだと逆立ちさせて、批判したのです。これが「盗人」の立てた邪法というのです。そういう事が仏法には非常に多いのです。


最近では創価学会が日蓮正宗の軒下を借りて母屋を盗み取る悪義を「立正安国論」の「客人」と「旅人」との問答の主張を取り換えて誤魔化しの解釈筋で池田大作が「立正安国論講義」の中でやっている。そのくらいに日蓮大聖人の「法華経」というのは魅力があるのでしょう。しかし泥棒といっても仏法の盗人ですから、しかも日蓮大聖人の仏法を顛倒させて解釈して、悪魔の蝦蟇法師の法然先生の手口に創価学会の世界平和路線を落とし入れてしまったわけです。ですから創価学会は日蓮大聖人の仏法だと言っていてもそれは目の潰されている人達がそう思っているだけで、実際には「客人」の思想である念仏の法然の思想を手本とするようになったわけです。それが随他意という布教法で池田大作の世界平和論にぴったりだったのでしょう。


随他意ですから、その土地その土地で文化の異なる外国であっても人々の心に合った法を説いているわけで、相手に合わせているのでどんどん布教が進むのです。しかしこれは仏の心を説いているのではなくて、相手の心に合わせてそうだそうだと頷いているようなもので、その域を出ないのです。ですから成仏という仏の境涯はそこにたとえ薀在(うんざい)していても、顕現することが無いのです。(パリ=飛田正夫)(仏時間 ;23/01/2018、16時56分)