ダッハウ強制収容所には米兵は1945年4月29日に到着して開放した。その時に、20万人以上が収容されていていた。ここで殺害されたのは4万3千人であるという。
ダッハウ強制収容所は当初は政治犯を対象にしていて、その後のポーランドのトレブリンカ(Treblinka)強制収容所(73万人以上が殺害された)や、ドイツのブーへンヴァルト(Buchenwald)強制収容所(2万3千388人が収容。5万5千人以上が殺害)などの創設モデルとなったことで有名で、ナチス体制の死体隠蔽装置である焼却炉が始めてここで1933年に創出された。
アウシュヴィッツ の収容所の70周年解放記念式典が、1月27日に世界中から要人を集め、また300人ほどの強制収容所生き残りの人々を前に記念式典が雪の降る中で夕刻から行われた。ここにはフランソワ・オランド仏大統領もパリのマレ地区でのユダヤ記念館での式典後に、このアウシュヴィッツ の収容所へ駆けつけてやってきた。しかしドイツのメルケル首相はこなかった。さすがにこれには多くの人が驚いていたはずだ。今回のドイツのメルケル首相の参列は、当然といえば当然ではあるが、日本の安倍晋三首相などは絶対にまねさえできない立派なことなのである。
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