2013年6月18日火曜日

石井洋二郎著「パリ-都市の記憶を探る」 通底溝の象徴としてのカタコンベとエッフェル塔

 石井洋二郎著「パリ-都市の記憶を探る」(ちくま新書1997年)は、パリやフランスに関する本が多い中で哲学的解釈の知識の詰まった興味深い本だ。

その中で地下のパリや墓地を扱った箇所はこの本の最良の箇所だと思うが、地上の都市と地下の都市がカタコンベの入り口の通路によって自在に連絡し混淆しているのだということを実感させもすると著者はいっている。つまり生と死、光と闇の二項対立の説明ではできないことに地下聖堂のカタコンべは自他の境界線を溶解させてしまうような印象を受けるのだと位置づけている。

  この点で私の感じるのは、それらは一つの直線的な方向に向ったキリスト教における初めと終わりのある思想のことであって、カタコンベやエッフェル塔はそういう通底溝のような象徴性をもっているのかも知れないということだ。著者の言うように恐らくは二項対立で説明できないというのではなくて、生や死、光と闇というのはフランス人にとって特にキリスト教徒にとっては二項対立というような範疇にはないのだということである。

  エッフェル塔の話しの箇所では、その鉄による内部性の欠如を指摘して、石の壁や屋根によって空間を囲いこむことが当然であった従来の建築物の中に置いてみたとき、訪れるべき内部というものが決定的に欠如しているこの塔の印象が与える斬新さは、やはり格別であったと思われると書いている。

  しかしエッフェル塔は建造物ではあっても住居や教会建築ではないのであって、これはやはり塔として考えて、両者を同一次元で比較すべきではないと考える。塔のもつ内部空間の欠如という著者の指摘があるが、そもそも塔を住居空間を目的とする建造物と比較することが同一視する問題を生んでいる原因のようだ。

  著者はエッフェル塔が鉄の塔だと理解しているようだ(083/194)が、エッフェル塔は細かく言えば鉄でできてはないので溶接ができず、ボルトでとめて組み上げたのである。

  ルーブル美術館は、本体はかっての王家の宮殿で(206)あると著者はいうが、これがルーブルの歴史的な入り口のことを想定して書かれているのであれば誤りであろう。それは王が住む住居つまり宮殿として造られたのではなくて、パリ防衛のためのまさしく塔として造られ始めたからである。