2015年6月17日水曜日

■idée/放射能や殺虫剤の危険な食物で溢れ 「義農」社会の希求とは 「立正安国論」での誤りを証明

人間が賢くなって進歩してきたというのが近代の理性の歴史であるはずですが、その認識が誤っていたということが現実問題から突きつけられているのが面白い。自分で自分の頸を締め付けることになり、今頃大騒ぎしているのです。私はいまから40年以上まえに、「国土泰平天下安穏は、一人より万民に至るまで好む所なり楽(ねが)ふ所」であるから戦争などは誰も好んで無い、誰も「世界平和」を願っているのである。その理想は、「世は義農の世と成り国は唐虞(ぐ)の国とならん」という誤った考え方や思想を可笑しいと批判する立場を支持していたのです。つまりは、人々が誤れる思想のままに「世界平和」を願って様々に祈り行動してみても、「世界平和」どころかその逆の戦争が始まってしまうという考えなのです。これは一般にはなかなか理解しにくいところがあるのは確かです。しかし今ならよく理解が行くのではないでしょうか。原発や戦争法案やセシウムや放射能や殺虫剤で苦しんでいるのですから・・・・・。いま農業や食物が危険視され「義農」が求められるのは、「立正安国論」に示された無間地獄への一過程に我々の社会があることを示すもので、まさしくその誤りの進路の只中にある証拠なのだと私は見ています。ですから、農業が大事だと人々が騒いではいますが問題は何も解決しないのです。(パリ=飛田正夫 2015/06/17 22:36日本標準時 )
 世界中は放射能汚染や薬剤でまともな安全な食物が手に入らなくなるわけです。それでビオ食品を食べるようになってくる。つまり再度、健全な農業というものを考える社会になるというのです。これが「義農」ということです。「唐虞(とうぐ)の国」というのは、中国古代の伝説の賢王の尭舜の理想国です。

でもそういうことをやっていても何の解決にもならないというのが「立正安国論」のひとつの主題だったのです。ところが創価学会に池田大作氏という念仏法然の邪儀を慕う人が出てきて、「立正安国論」での問答形式に置ける「主人-客人」の「客人」の言葉に従って仏教の正邪を糾すことを止めてしまったのです。そしてその後は周知のように創価学会は「世界平和」の行脚に走ったわけです。

これが「世界平和」を宣誓しながら、国を世界を戦争の無間地獄へ誘う原因を作ってしまうという原理なのです。