2015年7月1日水曜日

誰が一体パスクワ死去を喜んだのか 悲しんだのか

30日、シャルル・パスクワが88歳で死亡し多くの人が様々な感想をもった。今日のフランス議会ではパスクワを追悼する右派議員は大勢いたが左派議員は議会の会場で起立しなかった。これをみんなが立つようにと、「パスクワも共和主義者のところがあったのだ」として、左派議員に起立するよう促したのはバルツバルツ仏首相だった。左派党議長のメランション氏は、移民は彼のせいで苦労した。自分にも嫌な思い出がありパスポートが取れなかったのだとインタビューで答えている。パスクワと関係の深いその一人がサルコジ氏でインタビューでは「白黒の部分があった人だ」と笑みを隠さずに答えている。経歴的にもパスクワはサルコジの政治的な育て親ではないかと思われる。(パリ=飛田正夫 2015/07/01 3:33日本標準時

ミッテラン大統領との選挙ではシラク派と対立するバラデューをサルコジとともに立てた。パキスタンからの選挙運動資金として使われるアゴスタ潜水艦の販売賄賂の還流資金がバラデュー側に入ってきていたのを察知したシラクがこの金の長良をストップさせた。これに反応してパキスタン側は賄賂停止に怒りカラチ造船所で建造に参加していたフランス人をテロ爆破したという筋書きでがある。

この時のアゴスタ潜水艦2隻をパキスタン側に賄賂を使って売り込んだ両国の仲介役がタケイジンだ。両国の売買契約書に署名したのが当時財務大臣をしていたサルコジだといわれている。これがカラチ事件だ。この裁判はまだ始まったばかりだ。その意味では当時を知悉している重要な証人が一人死亡したといえる。

パスクワの氏はメランションの世代に取っては、マリク・ウセキンの死と重なり合っている。北アフリカ諸国で生まれた、自分のようなフランス人には地獄を作った人だと彼は言う。というのは身分証明書を毎回提出させられ容疑者とみなされたからだと答えている。この人はレジスタンスに参加したが、絶対的な反共産主義者であった。恐れを知らない共和主義者であったと語った。