2015年9月26日土曜日

シャンパンの泡味は有名無実か モエトシャンドンやヴィトン財団基金現代美術館を巡って

(写真撮影は筆者)


シャンパンの季節となりました。私のフェースブックの友人が質問されてきましたので、コメントをモエトシャンドンの会長の最近の話題や、また同氏の「ヴィトン財団基金現代美術館」の開館などに触れながら、シャンパンの泡味は有名無実なのか私の見解を少し述べてみました。モエトシャンドン(Moët et Chandon)と発音します。これが有名なのではないかということでした。

「モエトシャンドン」このシャンパーニュはある種の権力悪の象徴に今後はなってくるのではないかと思っています。同グループのアルノー氏はフランス一番の金持ちで、「ルイ・ビトン」なども持っているグループの会長です。フランス社会党政権の決めた75%の高額所得者税を払うのがいやでベルギーに逃げようとした人です。ベルギーの労働省から「お前の国の一番の金持ちがパスポートを申請しているがどうするのだ」という連絡でフランスでは大騒ぎになった。

同氏は恥ずかしいことだと思ったのかこれを取り止め、フランスに税を支払うことにしたようです。そのためかどうかはわからないが、罪滅ぼしの意味もあったのか、印象を変えたかったのか、1931年の世界植民地万博で、現在もあるパリのブローニュの森の順化公園には人間動物園が開催されていました。その順化公園にビィトン基金の現代美術館を作りました。



ヴィトン基金現代美術館とパリ西近郊の
ブローニュの森のアクリマタション(純化公園)

(写真撮影は筆者)

フランスの大洋航海時代の大型船舶をイメージしたというもので、非常に悪趣味なものに私には思えます。それはこの順化公園が多くの動物が人間のために飼いならされて適応化され本来の自然としての生命を奪い取られて家畜化させられた所だからです。

その純化公園は第二帝政の独裁者ナポレオン三世と妻のユージンヌが作ったもので、同時代の日本の木曽の民家や韓国や中国の龍の乗り物が置かれて遊園地になっている。この龍はキリスト教文化では悪魔ですが、東洋では神秘なる神です。ここに西欧の独善があり、この西欧中心の植民地主義にも通じる文化価値観を押し付け教育する現代における人間順化がこの公園の中に暗黙の内に生息し続けている。フランスの子供たちに人種差別の悪影響を与え続けていると思えるのです。





パリ西近郊のブローニュの森のアクリマタション
(純化公園)にあるソウル公園から望むヴィトン基金
現代美術館(右奥)。(写真撮影は筆者)










ソウル公園の内部 (写真撮影は筆者)




看板に、「順化園はルイ・ビィトン基金に挨拶す」という意味の
ことが書かれている。(写真撮影は筆者)


「順化園」と同じ地所続きにある「ルイ・ビィトン基金」だが、この看板に、「順化園はルイ・ビィトン基金に挨拶す」という意味のことが書かれています。この意味は「順化園」の管理をパリ市から任されているルイ・ヴィトンが、こに「ルイ・ヴィトン基金」を迎えることを歓迎する挨拶をしているという意味だと解されます。



黒豚がいた。(写真撮影は筆者)
1931年の世界植民地万博で、騙されてここに連れて来られて「人食い人種」「一夫多妻」の見世物とされたカナック人たちは動物扱いされて熊やラクダとなれべて動物園に囲われて生活していた。その順化公園に、ルイ・ビィトンは旧植民地時代にフランスが世界に君臨した豪華客船のイメージで建造されて、この秋に同美術館が開館されたわけだ。


子供たちは銃で悪魔や幽霊を狙って射撃する。大人もこれに
何の抵抗もないようだ。(写真撮影は筆者)
悪魔やテロリストにすれば、人間でも殺害してもかまわないという思想は実に根強い。キリスト教は異教徒を殺害してもよいとした伝統が今も払拭されてない。そこには悪や異質なものに対する蔑視が観ぜられる。これではいつまでも人種差別が存続していくのも無理がないようだ。この順化園にはそういう仕掛けが今もあるのが恐ろしく感じられる。

ブローニュの森の順化公園には悪魔扱いされた東洋の「龍」まで置かれている。実は最近知ったことですがこの1931年の世界植民地万博というのはパリの東側にあるバンセーヌの森でフランスの植民地であるアフリカ人などが主に展示会を開催した。パリの西近郊のブローニュの森にはそれより遅れた文化だと解されたカナック人が動物として展示され、極東の文化が展示されたのだということです。そしてそれを肯定し続けている線上に、豪華客船のルイ・ビィトン美術館があるのです。同美術館は「モエトシャンドン」や「ルイ・ヴィトン」グループのアルノー氏のものである。

少年少女たちは、悪魔の姿にさせられた動物や人間を兵器で殺害
の対象にして良いという思想をこの順化園で教育されてしまっている
ようだ。(写真撮影は筆者)


自分たち白人と異質な黒人や黄色人種に対して、自分たちとの異質性を元にして悪魔化して嫌悪することを学び、それは銃で撃ち殺ろすべきものだというゲームを通して自然に習得してしまう。テロリストや聖戦主義がフランスからシリアなどに正義に駆られて出てゆく少年たちの行動の問題は、こういう悪を救済するのではなくて、排除し殺害すれば全て解決するとする植民地主義時代と何ら変わらない思想にあるのかもしれない。


(写真撮影は筆者)

怪物や幽霊やお化け、悪魔などは射殺の対象になっている。しかしどこか彼らは人間に近い顔をしているのであるが、射的の対象になってくるのはどういう差異なのか。この判断は白人と黒人と黄色人種との差異のことよりも少ないのではないかとも思えてきて、人種差別の温存化がこういう子供の遊びに保存されていることを心配する。