2016年2月1日月曜日

「聖書」キリストは、父親のヨゼフと血統のないマリアの代理母出産GPA( PMA)で出生

キリスト教は、神に人間を従わせる為に作られた人間奴隷化の宗教であるということになる。というのは、聖書が人間を支配する所有主の言葉だからだ。これは自由な人間の存在を認めない思想でもある。神は自分だけはマリアに聖霊を与えてキリストを生ませておきながら、現代の家族に於いて同性愛のホモの人々や、子供が生まれない不妊の家庭で子供が欲しいとして養子縁組や代理母出産GPA( PMA)を望んでもキリスト教ではこれを認めようとはしない。本当は、キリストはマリアの処女懐胎ではなくて、ヨゼフとの性的結婚生活から生まれているのだが、それを認めると神との繋がりが消え否定される。これが怖いので養子縁組や代理母出産GPA( PMA)を承認したくないのである。だから、キリストの出生というのは、本当の父親のヨゼフとの血の繋がりを認めないわけだから、これは代理母出産GPA( PMA)で生まれた子供か、或いは捨てられた子供が馬小屋で拾われた養子縁組の子供のことなのである。だからキリスト教はその初めから父統に迷う宗教なのである。

キリスト教では、現代の結婚でGPA( PMA)を認めてしまうことで、やたらキリストと同様な父親との血統のない子供が世界中に数多く出てきては困るのであろう。代理母出産のキリストはキリスト1人だけで十分であると考えるのであろう。そうでなければキリスト教が嫌う養子縁組で、ヨゼフとマリアの子供になったとしか考えられない。このことをモンサンミッシェルのある僧侶に話すと飛び跳ねるようにして驚いたが、「そうかもしれない」と、否定はしなかったし反対意見もいわなかった。

ニ三日前に辞任したトビラ法相は、2015年5月17日に外国で代理母出産GPA( PMA)で生まれた子供のフランス国籍を認めることは、子供の将来の利益に反し差別になるので拒めないと宣言している。「みんなの為のデモ」(Manif pour tous)団体のルドヴィンヌ・デ・ラ・ロッシェ会長は、キリスト教徒団体と同じくトビラ法相のこの意見に厳しく反対して抗議した。そして100万人デモをフランス全土で開催したが、フランス議会は同性者の結婚を認める世界で第14番目の国になったのである。

2015年5月に、フランス西部のナント市で、ウクライナ、米国、インドから帰国した3人の子供の出産証明をナント裁判所が拒否したが、欧州人権裁判所(CEDH)がこのナント裁判所の判断を脚下して、子供に国籍を与えるように命令した。

子供は神に作られたり片親だけや両親ともの代理母出産でたとえあっても人間として生まれてきた者をこの社会は否定してはならないという思想はキリスト教にはない。じつはキリストそのものがそうした境遇から生まれたことを理解しないで否定しているのが今のローマ法王でありキリスト教徒たちなのである。

神の言いつけに従わない者が多くなってきて、この地上を新たにしようとしてどうしても人間に罰を与えなければならないと神は言ったわけですが、神に従っていたノアだけには大洪水の計画を話してあげて家族と避難するように助けの手をさしだしたわけです。これはキリスト教の「差別主義」であり「選民思想」であります。従う者は善い人で、自分キリストに従わない者を地獄に落とすというエゴイズムの教えからなっているのです。そういうふうにノアやアブラハム一族のエゴイズムの人間が子孫を地上に増やしに増やしてきたのがキリスト教社会の現代であり、人間の貪(むさぼり)と、瞋(いかり)と、癡(おろかさ)で蔓延した、貪・瞋・癡(どん・じん・ち)の三毒強情の現代なわけです。

キリスト教では人間は死んでいくが神だけは絶えず現れては消え現れては消えて聖書に出て来る。アブラハムは自分の子孫を増やす為に他国へ行くように神に言われた、新しい国で100歳ほどになっていたがサラと結婚しイサクを生む。神はここでこのイサクを祭壇に乗せて火を付けて人身供御させる。これは信仰を試したのかもしれないが、たとえ、神といえども、人間の尊厳をいたずらにもてあそぶことは許されないのである。キリスト教は、人間の生命を信仰の有無で天秤にのせて測るなどもってのほかなのである。そのように人間の心を量ったり、試したりすことが誤っていて、神にさえしてはならない尊厳されたものであるという思想がない。これがキリスト教の教えの低さの表れなのです。アブラハムというのも純粋馬鹿の類で、前に見たように心が貪・瞋・癡(どん・じん・ち)の三毒の煩悩に犯されているのです。煩悩とは誤れる宗教を真実だと誤信することなのです。

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