2014年5月25日日曜日

ユダヤ教への怨念が生んだ大量虐殺 ジョージ・スタイナー著「青髭の城にてー文化の再定義への覚書」を読む



スタイナーは、「青鬚の城にてー文化の再定義への覚書」ジョージ・スタイナー著 桂田重利訳 みすず書房 1972年を読んだ。この書の中でスタイナーは、キリスト教徒が抱いた、ユダヤ人への憎悪と敵意の復讐の怨念がユダヤ民族撲滅の大量虐殺や強制収容所を作り出したと分析している。スタイナーの論考はテーマへの素晴らしい切り口をみせている。つまり、同氏によればユダヤ人大虐殺のファシズムの台頭は、経済的な問題などではなくて宗教的な心理分析がなされなければならないとして、キリスト教の性格が問題にされた。ユダヤ一神教の横暴な神に苛まれて、それを仇み恨んでいた西欧のキリスト教徒たちは、その圧力感の不満から神を創ったユダヤ人に復讐したいという反射作用が爆発したのが、アウシュヴィッツでありトレーブリンカ強制収容所だという。宗教の救済倫理が世界の運命を規定したという素晴らしい切り口だ。


未だかって誰も見たことのない地上での地獄として出現したという。「これまで西欧の精神のなかにキリスト教の劫罪の教義によって育まれた、恐怖と復讐の至福千年的ポルノグラフィーは、あの収容所のなかでこそ実現されたのである」(59頁)という。


スタイナーは西欧文化の中軸には禁欲的な愛と自己抑制的な規定が至上命令となっていてその抑圧が日常の生活に強要されている。シナイ山上の一神教も原始キリスト教、メシア的社会主義もその累積した圧力が抽象的超越を脅迫的強いて爆発したものなのであると展開。

おそらくスタイナーの生涯にわたる課題はこの問題を直視しつづけその原因を提出することにあったと考えられる。

シナイ山の信仰箇条の唯一絶対神の信仰にはそこでものを考える人間の存在は無く、大体その全能で、永遠で、普遍で、見えない神を思い描くことも想像することも図像に描く事もゆるされない。そういうユダヤ教に対して、キリスト教では三位一体の相に於いて画像表現を許し古代の多神教のアミニズム的世界とキリスト教的世界とが交差し混血しサンクロニゼしている。そして交替された柔軟性と融合性をもった宗教であったといっている。そういう認識を持つ西欧のキリスト教徒は、ユダヤの厳格性に恐れさいなまれ続けた。その反射作用として、怨念をはらすために神を発明したユダヤ人を一掃しようとあの大量殺戮をしたのだとスタイナーは分析している。

5月25日はヨーロッパにとって重要な日になる。それは欧州議会選挙の日であり、ウクライナのヤヌコーヴィッチ大統領が民衆に批判されてロシアへ逃走したあとの暫定移行政権後の新たに新大統領を選ぶ日になっているからだ。この選挙はロシアのウクライナ市民への圧力介入のなかで行なわれる。新ロシア派は選挙妨害していて民主主義が問われる選挙でもある。欧州議会の選挙も反ヨーロッパとヨーロッパ嫌いの右派系民衆が欧州からの分離や脱出を掲げている。その理由は自分の国が弱小な国に足を引っ張られ、共同自殺したくないからだということだ。

このスタイナーの宗教分析は、民主主義や正教分離では解決できないユダヤ人問題や人種差別や大量殺戮を欧州のキリスト教文明から掘り起こし析している。