2013年11月7日木曜日

(一)何故、靖国神社や阿弥陀仏を拝んではいけないのか?

▼神国日本の伝統と天皇制

日本は神の国だといわれる。神社があり神輿というのがある。ずっと昔で、子供の頃に住んでいた田舎には、近くに大きな森がありそこに神社があった。日本は仏教の伝わった国で、日本の天皇が神になった。仏教と神道の関係がどのように日本の政治に連動していったのかは非常に興味がある問題だ。神道が日本の天皇制と繋がっていて仏教との関係がそこにどのように位置付けられているかを見てみたい。


▼ヨーロッパのアミニズム信仰

ローマによるヨーロッパ世界の征服の中でキリスト教が拡大してゆき古いアミニズムの信仰を弾圧し排斥していった。中心性を持たない複数の価値が混在していたセルト(ケルト)あるいはゴロワとよばれる神々の古い信仰は地下に姿を隠して、ヨーロッパ文化の底流で生き残っていった。そういう信仰が伝統文化の中で時々顔をのぞかせる。サッカーの試合などでは、フランスの応援団がしばしば頭上に角のある兜をつけるとか、春の訪れを祝う太陽信仰の表現であるクリスマスの行事とかがある。これも光を崇拝するキリスト教以前の古い伝統からきている。ヨーロッパでは文化の古層は死に絶えて絶滅させられたとは歴史ではなっているが、それらは文化次元で型を変え存命している。


▼仏教伝来以後の天皇と天照大神・八幡大菩薩

人王第三十代欽明天皇の代に百済から金銅の釈迦像と僧侶が日本に初めてやってくる。それ以前は神代の話しで、まず天神は第七代が続き、その初めは国常立尊(くにとこたちのみこと)である。その最後の第七代は伊奘諾尊(いざなぎのみこと)でその妻が伊奘冊諾尊(いざなみのみこと)と続いた。

地神五代の初めは天照大神、伊勢神宮日の神でこれは伊奘諾尊と伊奘冊尊との娘である。その地神第五代は彦波瀲武大鸕鷥草茸不合尊(ひこなぎさたけうのはふきあえずのみこと)でこの神は第四代ひこほの子で、母は竜女である。

人王の時代のその第一代が神武天皇で、これが彦波瀲武大鸕鷥草茸不合尊の子供である。続けると、第十四代の仲哀天皇(ちゅうあい)と第十五代神功皇后(じんぐう)との間に生まれたのが第十六代の応神天皇でこれが八幡大菩薩といわれたものである。

こうして人王の時代第三十代の欽明の代に百済の聖明皇(せいめいおう)が釈迦仏を日本に初めて伝えた。この時の手紙には「臣聞く、万法の中には仏法最も善し、世間の道にも仏法最も上なり。天皇陛下亦応(まさ)に修行あるべし・・・・・」とあった。これを人々は真実がわからずに、阿弥陀仏といって理解していたわけだ。

その後の欽明天皇、敏達天皇(びだつ)・用明天皇(ようめい)の30年間は仏教は広まらなかった。仏教が日本に本格的に広まるのは第三十三代崇峻天皇(すしゅん)、第三十四代推古天皇以後のようです。欽明、敏達、用明の三天皇は国の礼にまかせて、地神第一代の天照大神、伊勢神宮日の神を拝んでいた。この神は天神第七代目の伊奘諾尊と伊奘冊尊との娘である。

欽明、敏達、用明の三天皇は仏法が伝わった後も深くは信仰しなかった。とくに仏教に反対派の物部(もののべ)や守屋は、賛成派の聖徳太子と戦って疫病に死ぬ者が多かった。また蘇我の宿禰(すくね)や馬子の側でも同じく病気になっている。この両方ともそれ相応にしたがって病んでいるというのが重大であり面白いところである。こうして仏も法も知らなかった日本の土着信仰のなかに仏教が根を下ろしてゆくことになる。


▼日蓮大聖人の着眼点

この神と仏との上下の祭り方の次第を誤ったために、犯されるはずのない神の子孫である天皇が続けざまに海中の藻くずと消えていったという不思議なことが起こった。いまでいうと国の柱である首相が続けてその役をあっけなく終えなければならにという事件なわけです。神国日本にはこういう不思議な事件があるのは何故なのか?

浄土宗の寺では、仏教と異なる世界観がある。極楽浄土という概念を立てる。穢れた世界を離れた他の浄土世界(他土)を恋い慕うということで、仏教の成仏にたいして、その他土である浄土世界に一度行くわけです。これを成仏とはいわずに浄土宗ではわざわざ往生といっている。仏教のいう成仏と浄土宗の往生とは異なる。

キリスト教でも同じようなことが16世紀ルネッサンスのキリスト教の中に出現してきます。一種の天国と地獄だけの中世の世界観にはない中間の世界(リンボ)を作りだします。つまり最後の審判が執行猶予され延期される世界観なのです。しかもその判決猶予を金で買える贖罪の世界を作ったわけです。別の表現でいえば煉獄ということになるのかもしれません。天国にはいけないが地獄にも落ちないという世界である。つまり浄土世界というのはこれと似ているわけだ。

浄土宗の往生・成仏というのは成仏という仏教の世界観を否定はしてはないようだが、どうもそうでもない。浄土宗ではまず、仏教の成仏というのは修行が困難で普通の人では難しいのだ、耐えられない難行だといって躊躇させておいて、次に、仏教の教えは難しいが、この凡人には難しい仏の教えも、阿弥陀如来の信仰でなら易しく簡単に理解できるのです、と易行を立ててすき落とすわけだ。つまり阿弥陀仏の往生世界へ一度いって救われてから、難解な仏教を理解して成仏したらよい。と、このように論理を立てた。これはキリスト世界で起こったリンボ的な世界観なわけだ。


▼釈迦仏を阿弥陀仏と誤れる読み替え

このようにして、人々の仏への渇仰心は、仏の寂光土ではなく、阿弥陀如来の教えで別な浄土の世界へと連れていかれてしまうことになる。その往生世界に留まって成仏の世界にはついにいけなくなるわけだ。無限に渡ってその煉獄に監禁されることになる、その状態が無限に続くのでそれが無限地獄に例えられるわけだ。そしてこの阿弥陀如来とは人王の時代第三十代の欽明の代に百済の聖明皇(せいめいおう)が日本に初めて伝えた釈迦仏像を勝手に呼び変えて造作してものであった。

この釈迦像伝来の時の添え状に、「臣聞く、万法の中には仏法最も善し、世間の道にも仏法最も上なり。天皇陛下亦応(まさ)に修行あるべし・・・・・」とあったが、これを人々は真実がわからずに、また仏法の理解ではなく、自分たちの思考の枠に従って阿弥陀仏といって理解したわけだ。

面白いことにこの阿弥陀仏は一応は「仏」と名がついているが、仏教でいうところの仏ではない。仏の寂光土の概念に西方浄土を対比させたもので架空のものである。そういうところに人を誘い煉獄の往生世界を作って仏教でいう常寂光土の成仏に代替させる意味を与えようとした。そのために、「浄土に往生する」ともいうのだが、決して「浄土に成仏する」とはいわない。

往生するというのと、成仏するというのとでは意味が異なるのである。成仏は死後も生命が永遠なものとして捉えたものだが、往生は天国でも地獄でもない世界、つまり天国と地獄の世界観を基本にしているのだが、念仏の阿弥陀如来の浄土はそのどちらでもない中間に留まって無限の煉獄に住し続けることになるということである。

これは判決がでない執行猶予された状態である。天国にもいけず地獄には行きたくないために、行き場が無くて無限に立ち往生しているということになる。念仏が無限地獄だといわれるのは、そういう仏教の誤った自己解釈が原因となっているが一方で民衆がわにそれを求める需要があったことも原因している。


▼土着思想と仏教の外来性の世界認識の新パラダイム

異質な文化との出会いはどうしても複数の尺度というか規範みたいなものが主張しあうことになりがちだ。土着の文化思想と外来性の仏教とをそのどちらか一方を切り捨ててしまわないで、両方をつなぐというか組み合わせるというか、摺(す)りあわせることによって複数価値を一つの体系で説明可能な、つまり個別の価値とその総合性とを共に救い上げられるようなパラダイムの革新が日本の土着性と外来性の仏教とのあいだで試みられたということだ。しかしそれはほとんどが失敗した。


例えば、仏壇と神棚を両方飾っている家があるが、その飾り方に様々な飾り方がある。何故そういうことになるかといえば、日本の土着性と外来性の仏教とのあいだで対立と和合の様々な位相が考えられたからである。


仏壇と神棚は一箇所に並べては置かないが、なんらかの距離を取って個別の空間領域を指定して、分けて、つまりこれが本当の意味でのお飾りするとかお祭りするとかいう意味だと思うのである。つまり仏教と神道の関係を規定する空間的な存様があった。

これにいろいろな有り様が出現してきた。飾り方は宗教の理論的な世界空間の認識枠でもあったのだから、各自の、個人的な信仰心の問題だけでは片付けられない宗教自体の持つ救済力・救済の論理が認識されてくるわけだ。これが神道の世界観を包含した上での仏教の世界認識の解釈というパラダイムだと理解したい。


▼並べて、言い換え、同一視させ、摺(す)り替える悪法

日本の天照大臣や八幡大菩薩といった神々、或いは天皇家までも包含して説明できる仏教的解釈の世界観が生まれていったのだが、しかしそういう流れとは別に、釈迦仏を否定してそれに相対させるような論理を立てて阿弥陀仏をつくり出し、仏けと摺(す)り替える悪法の宗教が誕生してきたわけだ。

人それぞれ考え方も理解のとり方も違っていて良いわけで、それが素晴らしいことでもある。しかしそれは個人の好みや考えにおいてである。因果律とか国法でもそうだが、これは個人の嗜好を超えて他の人々とも広く共有的に存在するものである。これは勝ってに作り変えることはできない。

▼どんな宗教が必要なのか

神道と仏教との関係で、百済国から聖明王の伝えた金銅の釈迦仏を、鎌倉時代頃にあるところでは、これを阿弥陀仏といって呼んでいた。善光寺の本尊の名前は阿弥陀如来だと当時の人々は釈迦仏を言い換えていた。この言い換えの認識は人々の好みからであって、真実の宗教の救済論理とはかけ離れたものだ。仏を阿弥陀仏として同一視するのは誤った認識だということだ。

仏教と念仏思想とを同一視する誤った認識だが、それは同様にキリスト教でいう隣人愛、仏教でいうところの仏の慈悲、イスラムの神の法にそれぞれ共通する概念が認められるからそれらは同じであるとする論議同様に誤っているのである。相似というのは同一ということとは別なことなのだ。

仏教と、スラム教、神道、キリスト教・・・・さらに、日本でいえば天照大臣や八幡大菩薩・念仏や阿弥陀如来、サリンのオウムや創価学会など。その他あらゆる人間世界の思想的価値が一つのまとまりある体系の中い無理なく説明できるような、善悪の対立を止揚できる総括的なパラダイムを持つ宗教が必要だということだ。


釈尊はそれをインドでやったのわけだ。また日本の様々な土着思想の中に外来性の仏教が入って来た時にも、同じような主題と変奏というか原理と応用、普遍性と特殊性との規定関係の問題があった。そこに神道や天皇、日本文化と大陸の移入文化までも含めて、仏教との関係で様々な立場での新解釈としての新しい宗派が湧き起こったのである。

つまり神道の個別性は仏教の普遍性の中で立派に立ち位置を確保して対立することがなく説明された成功例もあるが、おおくは誤った奉り方をしてしまった。転倒解義(てんどうげぎ)して逆さまに理解している。

そこから信仰の対象として拝む必要のない靖国神社や天照大臣や八幡大菩薩を拝むという誤りを犯してしまい。同時に仏法の因果律の法に違背することになり不幸を作る原因になっている。また本来の仏法とは異なる誤った仏を造作(ぞうさ)して阿弥陀仏の他物(仏)で釈迦仏と置き換えようとした。地獄である往生世界を誤魔化して荘厳してみせ人々を誘引しその無間の迷いに留めてしまった。神社や阿弥陀仏を拝むと祈りが逆さまになり仏教を不敬にするために国内の祭り事が転倒し、外からは侵略されるということが起こる原因となるわけだ。

神道と仏教との関係で個別性を尊重し普遍的な価値へと繋ぐことができる体系化の試みが日本人の思考でなされたが、それを阻止する方向で本仏を迹仏で挿(つ)げ替える。つまり本仏の首を切って他仏で接合し変えるという誤った信仰も数多く生まれたわけだ。この誤れる礼拝のしかたを国の首相がやった場合には、例えば日本の安倍晋三氏などがやれば本来は仏教を守る守護神がその機能を果さなくなり、そこに魔が入り込んで日本の国家が内外に狂わされることになるとしたのが、日蓮大聖人の神天上の法門であり「立正安国論」であるわけだ。(つづく)