2015年9月26日土曜日

なぜ戦争反対ではいけないのか?国家太平・国土安穏を祈る創価学会・公明党の平和論が戦争の原因

これを考える時に「公明党」というのは宗教団体の「創価学会」を母体にしている政教一致を主張してはばからない党なので、その政教一致党である公明党は池田大作が作り出した「創価学会の文化・平和路線」を根拠にして平和実現のための戦争論を使っている。理論の出所となった池田大作が解説した『立正安国論講義』が問題になるわけだ。(パリ=飛田正夫2015/09/26 0:18日本標準時

この講義の元タイトルはいうまでもなく、日蓮大聖人の「立正安国論」から出ていてこれの解釈をする過程で池田大作の私見が語られ、池田独自の誤った解釈を「創価学会」の読み方として創価の運動論に仕立てたのである。そこには重大なテーマが提出されていて、平和を考えるときに、「安国」という国家太平・国土安穏という平和を先にすべきなのか?それとも、「立正」という宗教や思想の高低浅深を正し正邪を明らめ顕わすことを先にすべきなのか?という対立がある。

結論をいえば、安倍晋三や公明党・創価学会の池田大作は「安国」が先なのだという立場です。これは、『立正安国論』の中での「客人」の主張であって日蓮大聖人の立場ではないのです。

国家太平・国土安穏という「平和」は万民の願うところではあるが、これを直接的に追うと、つまり創価学会・公明党のようになってしまうのだ。つまり、全世界が平和でなければ日本の平和はないし、ましてや日本周辺の静謐がなければ日本の平和も個人の平和もないのだと唱えて、世界の安定・平和のための戦争をいい訳にして、日本の軍備拡張を主張し戦争を認めてしまうわけです。

この原理が法然先生の主張する立場で、宗教の正邪などよりも先に世界が戦火に覆われたのならそんな事いっている暇はない。先ずは世界の平和なのだ。そのためには日蓮大聖人の主張である宗教の善悪・正邪を決することなどは重要であっても、国が亡国とり家が破壊され、本尊も経巻も焼かれてしまったら、信仰も存在しなくなる、と主張してたのである。

このようにして池田の「創価学会」は、平和実現の書である「立正安国論」を使って、誤って誤魔化しの悪魔の法然の筋で解釈した池田大作の主張に走ったのであった。それが今回のような、「戦争法案」容認の結果を生んだのである。反戦・反核の平和の党であった筈の公明党は、創価学会の池田の魔術のすり替えた「平和論」によって、悪魔の法然と同じく、「平和」実現のための「戦争」を正当視しして、自民と一緒になって支持してしまったというわけである。

国が国民を守れないのは、国を国家太平・国土安穏の砦として考えてきた思想が、いまや破綻していることを示しています。守れても一部の人間だけで総てではないのです。欧州共同体が、シリアやリビアや中東の戦争で国を失って漂流してきた難民たちを、全部は救えないのです。「国家」が彼らの平和や幸せを保障できない。欧州共同体もその「枠」を限界として、全員は救えない。限界つきの不平等の救済であり「平和」なのです。そういうやり方が池田大作の「平和」論であり法然先生の教えであったということです。