2014年1月22日水曜日

フランスの議会で堕胎法案審議が開始 胚珠はいつから尊厳ある人間の子供になるのか?

1月20日から議会で「男女平等法案」が審議されている。その前夜の19日、女性の不幸な状況を考慮せずにすぐに堕胎に頼れるようになる社会党の法案に反対したデモがあった。パリのダンフェルロシュローとアンバリッドの間で40万人(開催者側発表。16万人警察発表)と大きなもので、昨年のホモ結婚法案反対デモ(manif pour tous)と今回の堕胎反対デモはキリスト教徒などが中心になっていて、子供が問題になっていることでも相似している。背後には人間の尊厳の問題が横たわっている。しかしフランス人の中にはいつから胚珠が人間として尊厳さえるのかという不思議な疑問が残っているようだ。

20日の左派系新聞リベラションは、デモに参加した人たちの意見を拾って紹介している。

「まだ、今でも子供のことを考える人のいることを示さなければならない」

「女性を堕胎させるのではなく、彼女たちを保護し援助する体制を希望する」

「フランスでは堕胎は蔑視と非難ということになっている。女性と堕胎児は一緒の肉体だからだ」

「堕胎は犯罪だ。スペインでは街頭に人々が出て堕胎を禁止した」

「フランスは死刑を廃止にしたが、堕胎ほど多くの人を殺したものはない」

「生まれる前の生命を殺すことに反対する」

「この誤れる法律が子供の出生を壊しているのだ」

症候群が何かあるのかとした質問では、「堕胎をした女性は性格が悪くなる」
「子供を見るたびに、この婦人は泣き出すのである」というのがあった。

「生命の概念が出たときから死ぬまで尊厳したい」

「政府は殺害の方策を取っていて、我々はすべきでない子供の商品化へ向う」

「堕胎は私を殺す」と書いた横断幕もあったという。

「女性自身が女性を守る法を犯す危険に晒されている。胚珠のすべてが母親の一部であるからだが、いつの時期から一個の人間になるのかは私は知らない。疑いは残るが堕胎権には反対である」

20日の仏国営ラジオ・フランス・アンフォ(RFI)では、スペインが堕胎法を削除したことで、フランスが1960年代に戻る事を恐れる専門家の話しが報道されている。それは堕胎がフランスで禁止されれば貧しい女性は秘密裡に隠れて行なうというのだ。また裕福な女性は堕胎旅行をして、許されている外国へ行くのだというのである。そういう事実を見てきているので(シモーヌ)ヴェーユ法は後退させてはならないと話している。

フランスでは堕胎問題で、生命として取り扱う時点がいつであるのかが決定できないで迷っていることが興味深い。それは、キリスト教では人間以外の生命は、尊厳すべき存在とは見ていないことと関係している。つまり人間とそれ以外の生命を区別したて分けているからである。

人間が生まれてくる前と死んだ後は、人間の生命として捉えていないのではないか。少なくとも人間とは区別している。そういうところの尊厳はどうなっているのだろうか?