2016年1月26日火曜日

パリの回教寺院を訪問 イスラム教もキリスト教もテロ集団サラフィスト系も同じ神を崇拝

1月25日(写真は筆者撮影)

(パリ=飛田正夫2016/01/26 9:04日本標準時)1月25日、今日はパリ西郊外都市のクリシーにある回教寺院とサント・ウーアンにある回教寺院を訪ねた。イスラム寺院モスクのことだが、一日に5回ほど信者が祈りに集まる集会所のことである。集会所の責任者や集会役員や信徒と話ができた。イスラム教徒はあの世を信じパラディを信じるのだという。それは悲惨な現世よりも神のいるバラ色の天国を望んでいると言うことらしい。彼等の日常生活に占めている来世のパラディの意味は非常に大きいのである。それにしても、キリスト教もイスラム教もテロリスト集団サラフィスト系でも同じ神を崇拝していることがよくわからないところである。

サント・ウーアン集会所の責任者は人がいつ死ぬか分からないように、裁きの最後の審判もいつ来るか分からないのだと私に言った。明日かもしれないし、100年後かもしれない。それは分からないが天国と地獄は現前としてあの世の世界にあるのだという。私はそんなことを言われていたら恐怖が先立って、人は明日に希望を託して生きていけないではないか?恐怖が現在を縛りはしないか?と疑問を提出したのである。彼らは死後の世界がいつ来るのか分からない。最後の審判による天国と地獄との判決の恐怖の中に生きている。

それを受け入れるのは、それは人間が神の被造物であるからだという。パトロンに使用人が従うのと同じだ論理だという。わたしが、それではイスラム教徒には個人の身体や精神の独立性は存在しないのかと問うと、神が世界を創造したので総てを決める権利がある。人間にはどうにもならないのだという。この点は非常に重大な事のように思えたので、多くのイスラム教徒の方々に再確認してみる必要があるだろう。


集会所に来ていた30代の青年は、地獄と天国を決めるのが神であって、キリストは預言者の一人にしか過ぎないのであり、神ではないと私に語った。モハメッドは24000人ほどいる預言者の一人で、神に最も気に入られている最後の予言者であるといった。モハメッドなどは預言者であって、キリストと異なり神の地位を侵害しないのだとその違いを指摘している。イスラム教とキリスト教との違いは、イスラムの預言者モハメッドらは、神のメセンジャーである予言者であるが、キリスト教ではキリストは預言者の一人であったのが、キリストに神の権力を請負させて神になってしまったところに決定的な違いがあるのだと話している。

祈りは一日に5度ある。そのつど6分間程の祈りをするのだといった。見ても良いかと聞くと、中に招き入れてくれた。靴を脱いで下駄箱にしまい、モケットの敷かれた広間に座った。写真は撮ってもよいかと尋ねると、後ろからなら撮っても良いという。彼らは声は殆ど出さずに立ったり座ったり頭を床に擦りつけたり何度も同じことを繰り返している。

クリッシーの祈祷所では、吹き抜けのテント下の地上にござと大きな板を置いてその上に菓子や牛乳が置かれて食事している人々が20人ほどいた。この季節に断食をしているというので驚いた。聞くとこれは週に2度あって、希望者はこれに参加できるのだという。祈祷所で出す飲食物なので食べないかと勧めてくれたが、ダーツは知っているのでと、礼を言って断った。

サント・ウーアン礼拝所では、信徒はイマムの招く合図があると、それまで自由に彼方此方に散らばって座っていた人々が、前の方へ集まって並んで座った。女性の姿が見えないので聞くと、後方にあるスリガラスの仕切り衝立の後ろにいるのだといった。本当に要るのかどうかは確認できなかった。ある参加者によると出口も入り口も違うという。このサント・ウーアン祈祷所の建物ができて2年目だが、当初の予定ではギャラリーを設けてそこに婦人たちに座ってもらうことを予定していたのだという。何故女性と一緒ではいけないのかというと、女性を見ると男性は落ちつかなくなるからで、祈りに乱れがでるからだというのだ。それで分けているという。

祈りが終わって広間から出て来た人々に、ここで今しがた何を祈ったのかを聞いてみた。ある青年が言うのには、神の事を祈るのは義務であり、その後に自分の健康や仕事のことを祈ったのだといった。

ある男性は、私にイスラムの結婚についてはなし、イスラム教徒はイスラム教徒の相手と結婚するのが習わしだという。もし異教徒との結婚になる場合は、男性は改宗しないと結婚はできないという。そういう証明書をモスクやイスラムの協会が発行するのだという。なぜそういう男女不平等なことをするのかとその理由を聞くと、イスラム教を保存するためなのだと答えた。文化や宗教の保存がどうして女性ではだめで男性なのかはよく納得がいかなかったので、単なる父権性だけの理由からとは思えないし、少し詳しく次の機会にでも聞いてみたい。

イスラムの世界では男が中心で女性は付属物で中心は男なのである。それはキリスト教でも神がいて先ず男を作り、その男の骨から女性が作られているという旧約聖書の話を持ち出してきた。この男性は非常に面白い人である。イスラム教徒は、キリストを父親のいない母親から生まれた預言者であるとみていると語った。私がキリストは片親しかいなかったからフランスの同性愛結婚反対にカトリックなどは反対しているのですというと、イスラムも反対しているのだと答えた。キリスト教が、同性愛結婚に反対する理由は聖書にそれが書かれているからだが、どうも本当の理由というのはこれを認めると、キリストと同じ片親の子供の出産を可能にすることになる為に、キリストと同じ父系に迷う境遇の子供がたくさん生まれ出て来ることになるからだ。私がこれを話すと青年は目を丸くしていた。

夕刻になって、パリの北近郊のクリッシーのモスクにも足を運んでみた。ここは今夏にも新築のフランス最大級のモスク寺院が完成する。現在は仮のバラックだが1年半ほどビニール天井で雨風をしのいできたという。非常に多くの人が出入りしていた。青年層もそんなには多いといえないが、いるにはいた。その中でイスラム教徒の協会組織の役員の人々が世話をしているのだが、パリのテロリストの問題で彼らにそれを話すと、彼らはサラフィストというのは地上の総てを殺す、頭がおかしい人たちなのだと言ってきた。

彼らはどんな神を拝んでいるのか質問すると、イスラム教と同じ神だという。それで、ここのモスクにもサラフィスト派の信徒が来るのだという。今、中に入って行ったのがそうだという。彼らは、ズボンの裾がとても短いのですぐわかるのだと説明してくれる。しかし私にはみんな同じく見えるというと、今出て来るから教えてあげるという。なるほどと、そのズボンの短い丈を見てわかった。言われてみると何となく他とは違ったふうに見えるから不思議である。どこか利発そうな青年たちであった。それで、この人たちが拝む神と他のイスラム教徒の拝む神は同じなのに、どうして彼らがテロを行うようになるのかよくわからない事だがというと、これに答えは帰ってこなかった。