2014年5月31日土曜日

「ブルターニュのパルドン祭り 日本民族学のフランス調査」(新谷尚紀 関沢まゆみ 著 悠書館 2008年)を読む 



 「ブルターニュのパルドン祭り 日本民族学のフランス調査」(新谷尚紀 関沢まゆみ 著 悠書館 2008年)は、私が日本に帰国した2004年春に池袋のジュンク堂書店で偶然に求めたものだ。タイトルが面白そうで、本の帯には「柳田国男が創始した日本民族学の国際化へ向けての第一歩」とありその挑戦的なうたいもんくが気になった。4年をかけての現地での聞き取り実地調査を重ねたものだという。ただ、関沢氏の論文3本を通読して思うことは、ブルターニュで彼らが対象に選んだパルドン祭りの分析などを考えると、これは民族学というよりは考古学的研究調査が要請されていたのではないかと感じたことである。

ここにはセルトの文化とローマの文化及びキリスト教文化の断絶と継承の問題がブルターニュを舞台に論じられているが、聞き取り対象者は凄い過去の伝承以前の話しを強要されてしか「話者」にはなれないからである。これは伝承ではなくて考古学的な知識となっているものである。

したがって、関沢氏の論文のなかでいうと、聖ヨハネの火に関する民俗学的な聞き取りで、ある男性によればとして語らせていることが本論文の主題であり、またこれが考古学的な一つの回答だということだ。「キリスト教以前においては、夏がきたことを知らせる(夏の始めの)サン・メーンの祭りに焚かれた火のことで、冬の季節の悪かったものを浄化するために焚いた。キリスト教化された後、カトリックの人々はその祭りをキリスト教の祭りに変えた。それで世ヨハネの祭りの火になった」(106頁)しかし、はたしてそうなのだろうか?と、ここで立ち返って考えると、118頁までの関沢氏の論文のなかで非常にこの火に関して興味深い指摘や写真が何箇所が取材されているのだが、これに対する回答なり分析箇所は何処にも見当たらなかったのが残念だ。どこかでこの点を取り出して問題にしなければならなかったはずだ。

その箇所とは、薪を山の様に積み上げてその頂上にヒマラヤ杉だとかブナの木だとか、栗の木、樺の木などの枝を一本さして(或いは)十字架を組んでタンタットゥを作り、それに火を付けて、これを燃やすということである。「タンタットゥに点火され、頂上の十字架が崩れ落ちると人々の口からどよめきが聞こえ、祭りの終わりが告げられたかのようになり、灰になるまで見とどける者は少なかった」(92頁)、「タンタットゥの周囲に人々が集まると、司祭が点火を行なう。火がつくとタンタットゥが燃え尽きるのを見とどけることなく人々は戻り、サンドウィッチや飲み物をとり、ダンスや写真撮影をして楽しむ。」(103頁)、この箇所での写真の掲載は「点火され、猛烈ないきおいで燃えあがるタンタットゥ」(88頁)、「ロクロナン、ぶなの木を燃やす」(104頁)などである。これに関し関沢氏は「焚かれる火に二種があった」、「ゴール人にとってブナの木は自然が生き返ることの象徴であるという。また、ケルトの宗教では夏至には火祭りがあり、ベレオンという神の祭りが行なわれたという」(95頁、ジャン・イヴ・ニコさんの話し)、などとしているが、火で木の枝一本とか、枝で組んだ十字架をどういう理由で焼くのか、なぜもっと詳しく語らなかったのか。ここが一番大事な点だろう。

ここを問題にすることで、セルトの文化の継承という視角よりも、それが姿や形を変えてキリスト教文化の中に延命して生き続けているという、つまり追放され殺されたはずの文化が仮面を変えて生きながらえているといった視点が出てきたのではないかと考える。もっとも関沢氏はセルトのキリスト教文化への継承を結論的に論じている(114頁)わけだから、私のような見方はとらないのであろう。

フランスでは年末になると、クリスマスの行事がケルトやゴロワの春を告げる春祭りであったのがキリスト教の中ではクリスマスとなったことをフランス国営放送テレビA2などでは毎年のように説明している。多神教のアミニズム的太陽崇拝のデュルド教が直ぐにキリスト教化するのではなく、つまり一神教化するのではなくて、その前にローマの多神教がガリアの地に入ってきてガローロマンのサンクロニゼした文化を生んでいることには論文では触れらていない。