セヌシィは、「彼(サルコジ)はリビアと一緒に働くことを受諾した。我々は彼がフランスの大統領になれるように選挙運動資金を援助することにした。サルコジがリビアに来たときに、彼は自分(セヌシー)が事件(セヌシーは1989年のDC-10 UTA墜落テロ事件で170名内54人がフランス人死亡した容疑者で国際指名手配になていた)から抜け出られるように働くことをリダー(カダフィ)に話していた」といっている。
タケイジィンはパリに戻ってからサルコジの最高側近であったクロード・ゲアン(Claude Guéant)前仏内相(前警視総監、後のエリゼ大統領官邸総書記官)に、この話を内務省近くのソフィテル・ホテルのサロン・バーで話したのだという。
ゲアンは私に彼が援助を要請したかもしれないが、それはいづれにしても選挙運動資金のことではない。サルコジはまだ立候補していないと答えるので、強くいくらかかるのかと言うとゲアンは2200万ユーロ(約33億円)かかると認めて答えたとタケイジィン入っている。
数日後にリビアに戻ったタケイジィンは、セヌシィと話し同氏はサルコジの要求は非常に明快であるとタケイジィンに確認したという。
【参考記事】
Sarkozy-Kadhafi : le tête-à-tête qui a tout changé
http://www.mediapart.fr/journal/international/011014/sarkozy-kadhafi-le-tete-tete-qui-tout-change?page_article=2