2014年9月17日水曜日

モネの睡蓮の庭からノルマンディの古戦場跡へ

モネが作った日本式庭園には、柳の木があり、睡蓮が咲き、
太鼓橋には藤の枝が絡まっている。
1840年生まれのクロード・モネがその生涯の半分を送ったジベルニーを発見する前にカミーユと住んだのがベトーユの村だ。写真(下)の骨董店の道を挟んで反対側が昔はホテルでここに二人は泊まっていた。ベトーユは印象派の画家のメッカであったが今も多くの画家が住んでいるところだ。「女蓮華在水」とは美しいものが泥の中に咲くたとえ。「楊貴妃はめみよきものなり、下女の腹よりいづ」あるいは、「桜はおもしろきもの木の中よりいづ」という時の意味と同じだ。しかしここのモネの睡蓮の池はセーヌの川から水を引いてきているのではなく、全長110キロしかないエプトの小川の水を使っている。その中流の町が有名なノルマンディ公爵領誕生の地となったバイキングの大将ロロンとフランス王シャルル3世単純王が和解条約をかわした町である。そこの教会の外壁に記念碑が埋め込まれている。そして午後に私たちが訪ねたシャトーガイヤーこそは、パリ王と英国王ノルマンディ公爵が戦った激戦の古戦場で今は廃墟がセーヌを望んで静かに残っている。


睡蓮の花。(写真撮影は筆者2014年9月5日)




ベトーユの村(写真撮影は筆者2014年9月5日)


(写真撮影は筆者2014年9月5日)

この写真の奥に見える屋根瓦が美しい教会はベトーユの教会でモネの初めの妻カミーユの墓がある。
教会の手前を左にまがり200メートルほどいくとモネが住んだ家がのこっている。




(写真撮影は筆者2014年9月5日)

べトーユの市庁舎前広場の壁絵で、この地方の代表的景観を紹介している。と同時にこれを印象派の画家たちが描いたのである。それはセーヌの湾曲する流れと削られたセルソーのような型が続くメアンドルの白い崖、そして雲と空だ。
セーヌ川のを見張るロッシュギィヨンの天守閣 (写真撮影は筆者)




セーヌ川が削った白い石灰の岩の中に硬質の玉が入っている。これがセーヌに落ち海にはいり丸い玉石になる。日本の旭化成や大手ガラス産業サンゴバンなどが使ってる。

ロシュギヨンの丘からセーヌの下流を遠望する。ジベルニーはこの丘を越
え5キロほど行ったところにある。
睡蓮の花。(写真撮影は筆者2014年9月5日)




水の日本式庭園の他にノルマンディ式庭園もある。これはクロ・ノルマンと
いわれるものだ。一般には潅木が用いられるが、ここではりんごの枝を
横に這わせて囲いを作ったものだ。









ジベルニーは秋の気配、さまざまなダリアの原色の花が





(写真撮影は筆者2014年9月5日)






モネの家の近くにある教会の後ろにはモネと家族の墓があった。




















(写真撮影は筆者2014年9月5日)



(写真撮影は筆者2014年9月5日)



右岸の白い石灰石の岩肌はメアンドルのように半円状にどこまでも続いていて美しい。下の町はレザンドレで、大小二つの町が隣り合わせになっている。イタリアへ旅し二度とフランスに帰らなかったニコラ・プッサンの生まれた町でもあ。街にはプッサン美術館もあった



セーヌ川は大きく蛇行を何度も繰り返していて、ここでは船は砂利舟だが下流のルーアンのほうから思わぬ速さで走ってきた。こんなに早く船が走れるのはセーヌが川というよりは運河であるからなのである。