2015年9月8日火曜日

移民=「同化・適合」から、難民=「亡命権」遵守は仏憲法でフランス人の義務 オランド仏大統領発言

これまでの移民問題は移民側の同化・適応での義務が強調されてきた。またその適合・不適合などがが問題になされたが、一昨日前にエリゼ仏大統領官邸側で、オランド仏大統領の200人ほどのジャーナリストを招いての恒例の懇談会で質疑応答会をした。その中での発言が難民へのフランス人の義務を語っていた。そこで、政治的に国を去らなければならくなったシリアなどの市民を難民としてフランスは仏憲法の定める亡命権の尊重によって、難民の受け入れは当然の義務だと発言したのである。ちかくフランス全国の市長を集めこれを遵守するための難民受け入れの会合がもたれることになった。(パリ=飛田正夫2015/09/08 22:20日本標準時

欧州議会は難民受け入れ1人当たりについて6000ユーロ(約90万円)だすことを決めたようです。ドイツも戦争中のナチスの時に、特にルーマニアやハンガリーなどからの集団移送で大殺害キャンプ送りのイメージがあるために、非常にこの問題では気をつかっているようです。

メルケル首相は大賛成の態度ですが、飾りの大統領は大量移民の受け入れを反対している。オーストリアは態度が変わって、難民の一番の障害である国境封鎖を解き、ハンガリーからオーストリアまでの列車やバスなどの交通手段が十分でなく、歩いて移動する人々も多く、オーストリアの市民が自家用車を多数提供して輸送に協力している。

この夏に私は、フランスからスイス、ドイツと2週間ほど車を使ってみてきました。そこで気になったのはドイツとフランスの移民の違いですが、これは長くなるのでここでは書きません。共通点だけ書きますと、普通なら同化とか適応とかを直ぐに問題にしたがるわけですが、そういうこれまでの視点というのは人種差別と人間性に対する偏見からきていることを感じるようになったのです。これは前からうすうすとは気がついてましたが、今回の認識は私には大変なショックです。つまり移民という概念がなくなって難民へと認識が移ってきている。同じ市民しかそこにいないということなのです。

人間としての存在の総てを肌の色や言語の違いはあるにしても、だれもの尊厳を平等に彼れ之れの差別無く、したがって同化や適応の問題ではなく人間存在の尊厳承認の問題になってきているように思えました。

そのことを確認するかのように、一昨日のオランド大統領のエリゼ大統領官邸でのジャーナリストの質問会では、オランドはこの移民と難民とを立て分けて話していた箇所があったのです。

移民がフランス国内に流れてくると、フランス憲法に認められている亡命権を持つ存在として承認しなければならなくなるという認識です。つまり受け入れがフランス国民の義務になるということです。

それはこれまでの概念である移民としてでなく市民として尊厳するということなのだと思います。

ドイツにもそういうところがあって、スカーフを被った女性がフランスと同様に堂々と町を歩いている。もちろん細かく見てゆくと別ですが、これを非難する人は表面的にはいないのです。フランスはこれから市町村単位で、またキリスト教信徒組織などがこの欧州共同体の枠を壊さないようにしながら、貧富の区別無く白黒の立て分けなく人権の立場から、したがってそこには同化・適応が問題の焦点にはならない新しい思想での受け入れがなされて来ているのではないかというのが、私の最近感じている視点であります。

【関連記事】
http://franettese.blogspot.fr/2015/09/blog-post_7.html

オランドは 難民受け入れは「仏憲法」で定められた国民の「義務」 サルコジは憲法拒否し受け入れ反対か?