2016年9月25日日曜日

仏人は移民・難民の混血人 バルツ仏首相 ガリア人先祖のサルコジを批判

(パリ=飛田正夫 日本時間;‎25/‎09/‎2016‎‎-09:01:21)23日、セネガルのダカーで開催されたフランス人の集会を前にマニュエル・バルツ仏首相は、我々がフランス人であるのは、歴史的な先祖にガリア人がいるからではないと、サルコジの誤れる共和国の認識を批判した。バルツ首相は我々がフランス人であるのはその先祖によってでも宗教によってでも、皮膚の色によってでもないと話した。特にバルツは二つの大戦を取り上げて話し、フランスの価値は多様性にあり混血にある。それらを愛するユニバーサルな価値に深く根差すものであると話した。だから今日のフランスは混血社会であり、移民・難民という事であれば、フランス国民は全て移民・難民なのだと話した。

19日にサルコジが話した「フランス人になったその時から、あなたがらたはガリア人が先祖になる」という言葉が論議になっている。サルコジの考えは同化と順応で外国人はすべてフランス人になってガリア人が先祖になることを同化や順応の問題なのだとの視点に執着しているのである。

フランスは植民地を多く持っていたのでフランス国民の中には民族的にもローマ人であったりゲルマンであったりアラブ人など多種多様な民族がいるし人種がいる。それを何故フランス人になった時からガリア人が先祖にならなければならないのか?

●バルツ首相のサルコジ批判

一民族に他のそれを収斂化しようとすることは、人種差別を感じるものでこれをバルツ首相はフランスの共和国の価値ではないとサルコジを批判し、またフランスの混血主義を擁護したのである。

●フォール氏のサルコジ批判

社会党(PS)のスポークスマンで学識豊かな農林水産相のステファン・フォール氏は22日に、大臣審議会の折に話し、サルコジのガリア人発言のバカさ加減を笑った。フランス人はガリア族の外で子孫が増大化していった。フランスにはネアンデルタール人がいて、またホモサピエンスがいた。その後にはセルトのガリア族がいたのである。フランスというのは、世界のいたるところに根を持つ樹木のようなのだと結論づけている。

サルコジ氏は19日のパリ近郊の会合では、我々は全くうまくいってない移民・難民の適応政策に満足してないので、我々は同化を要求すると話していた。このコンテクストで「フランス人になったらガリア人が先祖だ」が話されたのである。

●ミッテラン元大統領のガリア人

1987年にソルボンヌ大学が開催した「フランスと多元性文化」というテーマで会議があって、そこでフランソワ・ミッテラン元大統領がガリヤ人について講演している。それはローマ系が少し、ドイツ系が少し、ユダヤ系が少し、イタリア人が少しスペインも少し、次第にポルトガル人が増えているのかも知れない。ポーランド人も、誰も知らない?とミッテランは話し、次のように付け加えている。私の知っているのはこれだけであり慎重でないと誰かに批判される。人種差別の疑いがでることを危惧したのであろう。フランスは人種的な統計というものをそのために取らなくなっている。

●シラク大統領のガリア人

1998年のジャック・シラク大統領の、フランス革命を祝う7月14日のパリ祭での発言では、フランス人の起源について話した。あなたがたはフランスの歴史的な源流をしっているでしょうか?それは起源が多元であるということです。我々が絶えず我々の起源がユダヤ・キリスト教文化だとかラテン文化だとか、我々はガリア人の末裔だとか主張するが、これは全く無関係な事なものなのです。

我々の国の中にフランスという名前の部族国があった。それは別の部族であったフランク族から持ってきた名前だったのですと語っているという。

イルドフランスの名前の起こりはこの辺にあると私も思うのだが、シラクさんは歴史に詳しい大統領で、お伽噺しを話すサルコジさんとは大変に異なるのである。

パリの北部のイルドフランスではこのフランスの名前を持つ町が今でもいくつかある。Roissy-en-France,Mareil-en-France,Châtenay-en-France,Puiseaux-en-Franceなどがそれである。

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サルコジには歴史の授業が必要 仏教育相 小説的「先祖ガリア」説を批判http://franettese.blogspot.fr/2016/09/blog-post_21.html


【参考記事】
http://www.france24.com/fr/20160923-ancetres-gaulois-valls-mouche-sarkozy-jacques-chirac-francois-mitterrand-foll-france-identi