2016年8月3日水曜日

日本神道と創価学会をバックにもつ 仏法違背の悪鬼信仰の誤り

日本とヨーロッパの違いは、日本は仏教のしかも大乗が広まったことのある国であるということです。どういうことかと言えば、それは因果を知った国であるということです。ですからテロリストや自然災害や人災の福島原発事故でも、カタストローフの原因にして、それは神の意思だとか、或いは自然に起こったことなのだ等とは、日本人は言わないということです。そういう人間が責任を引き受ける思想が日本には仏教によって培われていたのですが、この神道というのはその人間による因果性を否定する思想があるようで、心配しているのです。国家信仰のナショナリズムというのはこの人間の因果性を超越したところにたてる思想に思えます。八幡大菩薩や天照大神を仏教のパラダイムに位置付けて、仏教の機能神としての役割をもたせた「本地垂迹説」は非常に素晴らしいと思います。それにより因果に暗い日本伝来の神々も仏教の因果論の中で再生できたからです。キリスト教のように、それ前のアミニズムにしろドルイド教にせよ迫害し抹殺しないのです。尊厳し生かしていくわけです。


ただしこの尊厳が下克上すると、創価学会や安倍晋三首相の祈りの仕方、つまり祭り方が悪いために、日蓮大聖人が「立正安国論」で指摘された三災七難、地震や津波のような天変地夭(てんぺんちよう)が起こり、飢饉疫厲(ききんえきれい)が、起こるということは、本来は国家の繁栄を誓った諸天善神であった八幡大菩薩や天照大神が民衆及び国主(安倍)が、仏教に違背して神を祈っているために、諸天は仏との機能神としての誓いをはたせずに困って天上に帰って日本国にはいなくなってしまった。そういう日本には悪鬼が神社や祠や寺院・大社・会館などに入り、そこが魔窟になってしまっている。そういう悪鬼が住むようになった場所には諸天善神は帰ってこないのです。

G7伊勢志摩サミットで招待した各国の首脳が、日本軍国主義の精神的支柱になった誤った神道の本陣である伊勢神宮に参拝はしなくても出かけたのは悪鬼に挨拶しに行ったみたいなことなのです。そういうことを世界の指導者を引き連れて、記念写真を撮っらせたことは大変な誤りでその結果は今や世界にで始まっているのだと思います。

国家神道は仏教での諸天善神としての仏との請願を立てることでこの日本の守り神として残ったのですが、これだけを取り出して祈りの対象にすることが、仏を卑下し神を崇め奉ることで、天照大神や八幡大菩薩それ自体が恐れおののいて、大社や神宮を出て去ってしまって、その留守に悪鬼が入りこんで魔窟になっているわけです。こういう魔窟に詣で祈った場合には、当然のことその結果が出て来るわけです。

悪鬼を靖国神社や伊勢神宮に祈る今の、国家神道の恐ろしさはここにあるのだと思います。仏教の「本地垂迹説」は、人の因果を無視した暴れん坊な神を仏の法で抑え生かしたのです。仏教の機能神として位置付け蘇生させたのですが、仏法に暗い人々によって、無人化した神宮・大社に諸天善神が住むと誤認して詣で祈ることで、悪魔を祈ることになっているということなのです。再び戦争推進の神となるのは、そこ入り込んだ悪魔を参拝するっからなのです。靖国神社や伊勢神宮、学会の会館やセンターには悪鬼しかいないので、祈る対象を誤っているわけです。