2016年8月3日水曜日

日本は、悪魔の念仏・法然先生に丸め込まれ騙されて、「戦争反対」・「世界平和論」の莠言(ゆうげん)に熔かされてきた

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セクトというのは、山を登るのに頂上を目指しての争いはしないのです。入角(いりかど)の争いなのです。だから、本当に全員が登攀できるにはどうすればよいのかを話さないし、実は、本当はどうすればそれが可能なのかを知らないのです。頂上に見えるだろう「反戦・反核・世界平和」を叫んでいればみんな黙ってついてくるだろうと考えるわけです。しかし山は険しくて、総ての道はローマに続いてはいないのです。入角の違いでしかないことをあれこれ騒ぎ論議していると戦争が起こって家も国も亡くなってしまう。あれこれ論議しているよりは、大先生の示す、「反戦・反核の世界平和」運動に挺身していくべきだ。平和になって戦争がなくなってから、論議はすればよいではないかと、悪魔の念仏・法然先生の思想に丸め込まれ騙されて、この「戦争反対」・「世界平和論」の莠言(ゆうげん)に熔かされてきたのです。この迷わせ札に、老いも若きも酔いしれてこれを口にすれば世界平和が実現すると信じて踊り、また口に唱えたのです。

ですから入角(いりかど)の諍いが悪いのではなくて、それが悪いのは、山の頂上を目指しての論議を避け排除させる空念仏の呪縛の言葉(例えば、世界平和を叫ぶこと)であったのです。大事な論議を回避して、入角で門の構えやら、大小の目眩らませ旗を見て、看板に迷って目を廻し、中味のない「反戦・反核・世界平和」の空念仏に落ちてしまっているのです。

赤・青・黄いろの大旗・小旗の目騙し旗を頼りに集まる人々のことをセクトというのです。これは右派へと簡単に変貌してみせた創価学会・公明党の会員だけのことではなくて、市民運動家と言われる左派系の知識人や有識者もこの手の大旗や小旗になった人が多かった。その網に引っ掛かって騙された人々も実に多かったということです。

その網に掛かるということは、迷わせ旗にうたわれた殺し文句に引っ掛かったということです。今の日本に必要なのは、目潰しにされている創価学会の人々を救うためにも、また他の日本国民にあっても、一人一人が自分の考えを持つことだと思います。

大先生の教えや指導だからといって鵜呑みにせずに、真実を求めていく勇気が望まれます。青年たちも迷わせ旗・念仏旗の、「反戦・反核・世界平和」を降るのではなくて、むしろ、この運動の創始者である池田大作先生の世界平和論を批判していくことが大切になってきているわけです。個人の思考を塞ぎ閉ざし、目隠しする念仏踊りを世界中に広げてはならないと考えるからです。ブリューゲルの絵ですが、これは本当は引率している人の思想が狂っているので気をつけよ、という意味で見ることが大事だと思います。私の見た記憶では、盲人を率いる引率者もまた盲人として描かれている絵であったはずです。