2016年7月31日日曜日

ダエッシュ(IS)のテロ フランスの人権尊厳・民主主義への憎悪

(パリ=飛田正夫)フランスは国内的には戦争ではないので、今度のルーアン近くのサンテ・エチエンヌ・ドゥ・ルーヴレー(Saint-Étienne-du-Rouvray)の町の教会で起こった司祭殺害を巡り論議が起きている。危険な人物と知りながら、自由にさせて置いたので司祭が殺害されたのだ。事前に法律を厳しくして取り締まらなければならなかったと現行仏憲法を批判するサルコジ前大統領などの意見が続出し、これに対するベルナール・カズヌーブ仏内相からの批判もあった。このような例は珍しいというのは、この犯人が未成年者だった時に起訴したテロ担当のマルク・トレヴィディック(Marc Trevidic)前判事の言葉である。同氏は疑いのある危険人物は自由であるか、監視下に置かれるかの二つしかないのであって、三つめは無いと言っている。

シリアへ行こうとして、犯人はフランスに引き渡され足に電子ブレスレットをつけて監察下に置かれていた。即刻に牢獄入りとなるのは戦争中の捕虜についていうのであって、これは同じではない。今のフランスの憲法はテロをまだ実行してない青年を疑わしきものだとして裁くことはできないのです。ここに法のジレンマがあと見るのは誤りで、フィッシュSの札を持つ危険人物は、テロ防止の為に事件を起こす前に牢獄に入れてしまえとするサルコジ前大統領のような考えを、フランス国憲法はとっていない。もしそれをやれば米国のグアンタナモのテロ収容所を、フランスに造ることになってしまうとして、サルコジはマニュエル・バルツ仏首相に批判されたのです。

国際法では戦争捕虜は人権の尊厳が保証されなければならないわけだ。ここが困難ですぐに理解し難い点だが、殺人者もテロリストも人間のすることではないことをしても、人権の尊厳の適応が最低限は保障されなければならない。そうでないと普通の人間の人権も簡単に犯されるからである。そこには、人権というのは不偏的であり絶対的なものでなければならないという思想があるようだ。

こういうフランスの法的対応は、悪く言えばテロリストに舐められているということなのかもしれないが、しかし本当はダエッシュ(Daesh=IS)というのはこのようなヨーロッパの人権を守る民主主義を憎んでいるということなのだ。当然のことフランスのこの人権思想が面白くないのです。フランスがイスラム主義者と同じくなったのなら、彼らはテロを仕掛けてはこないでしょう。彼等の憎悪は神の上に人権を置く民主主義にあるのでしょう。


(文字数⇨1076 )(最終変更時間=日本時間⇨2016/07/31午前11時53分)

【参考記事】
http://www.atlantico.fr/pepites/saint-etienne-rouvray-reactions-politiques-matinee-2776429.html
http://www.atlantico.fr/pepites/saint-etienne-rouvray-incarceration-ne-regle-pas-tout-affirme-marc-trevidic-2776723.html