2015年3月21日土曜日

10年待たされた「移民少年追跡」裁判 感電死は警官の「救助義務不在」が焦点

クリシー・スー・ボワの変電所
(写真撮影は筆者)
19日フランス西部のブルターニュの首都レンヌでの裁判は2005年10月27日にパリ北近郊のクリシー・スー・ボワの町で起きた2人の少年の変電所での感電死に関し、変電所へ入り込む少年たちを見た警察官には「危険だという意識がなかった」として、裁判の焦点であった「救助義務の怠り」はなかったとして警官側弁護士は無罪を要求している。家族側弁護士のジャン・ピエール・ミニャー氏は、「裁判所は耳がなく対話ができないのだ」「少年たちの命が失われたことの重大性を考えてない」と訴えている。10年間も待った裁判だ。3人の少年がセバスチャン・ガイルマン(41歳)とステファン・クレーン(28歳)の2人の警察に追われて変電所に逃げ込み、ブゥナ・トラオレ君(15歳)とジィエド・ベナ君(17歳)の2人が感電死した。判決は5月18日に出る。
10年後にレンヌで裁判が実現 2005年のパリ郊外青年暴動の起爆剤となった少年2人の感電死裁判

2005年10月28日、サルコジ内相は「どんな時でも、警察が(子供たちを)追跡したということはない」と嘘を述べていた。事実はもちろん警察が子供らを追っていたのである。しかし、警察の一人ガイルマン氏はフランス電力(EDF)の変電所の裏側の墓地を前にして携帯無線で、「2人はほぼ包囲された。彼らはフランス電力(EDF)敷地内に入り込もうと柵を跨ごうとしている最中だ。どこかで捕らえるべきだ」と連絡していた。「この無線連絡を聞いていた他の21人の警察は何一つとして行動を起こす者はいなかった」のだと家族側弁護士のミニャー氏はいう。「あなた方は、(子供たちに)危険だから変電所に入ってはいけないと、何故一言でいいから叫ばなかったのか?一言叫べば子供たちの命は救われたのである。あなたがたは何もしてない」と法廷で訴えた。

現在米国などでも黒人が白人の警察に撃たれて死亡するという人種差別の動きがあり、同じスタイルをもっているために、フランスの外国人移民の住む都市郊外での少年の死亡にどう判決が下されるかは人権擁護団体などでも非常な関心を示している。

フランスにおける外国人移民の暴動と国家権力によるその鎮圧の問題だけでなく、そこに生きる市民としての移民の尊厳が問われた裁判であったはずである。人権の国フランスが、警察の「救助義務を怠って」いるのを認めるとしたら、身の危険があったとして警察に助けをもとめられないということだ。

この警察たちはトラオリ君とベナ君を追跡していたのである。「裁判は問題の核心に答えてない。それは皆で一緒に暮らすということなのだ」ブゥナ・トラオレ君とジィエド・ベナ君の第5回目の追悼記念式でミニャー弁護士に私が会った時には、「裁判が長丁場に据え置かれていることは、裏に政治的な介入があるのだ」と語っていた。裁判が実現したが、すべての人が平等に裁かれる共和国フランスの裁判であることを願う。この10年の歳月がながれてからやっと裁判がきょうまで4日間にわたって行われたのである。判決は5月18日に行われるが、それがどういう意味を持つのかを我々はもうすぐ理解するだろう。